主任牧師になったらしてみたいことがありました。それは、郵便屋さんです。と言っても、郵政省の職員になるということではありません。教会員やそのご家族の誕生カードを、牧師が直接ご自宅にうかがってお届けするということです。これはかつて永山教会におられた先輩牧師が実践しておられ、その効果のほどは上々であると聞いていました。例えば、それまで何らかの事情で教会から足が遠のいていた教会員が、新しく赴任してきた牧師の訪問によって、「また教会に行ってみようかな」という気持ちになったりするみたいです。
結論から言えば、残念ながら私のこの唐突な訪問によって礼拝出席者数が増えることはありませんでした。ただ、このことで私自身は得るものがありました。まずは、教会員のみなさんと仲良くなることができました。みなさんにとって「よく知らない牧師」から「こういう牧師」になることで、説教において語る言葉の意図もうまく伝わるようになったような気がします。つまらない冗談を言っても、気心が知れていれば一緒に笑える。これも一緒にお茶を飲んで、お菓子をつまんだから。その人が生まれ、生きていることの喜びを、カードだけではなく実際に会って喜び合えたから。そうであれば、この訪問にも意味があったのでしょう。
訪問の際、普段は教会に来ていない「教会員のご家族」と会えることも、その後の牧会に役立ちました。ある教会員の葬儀の際には、ご遺族の方々とまったく知らないお互いではなく、少しは気心の知れた者同士、天よりの慰めを共にすることができたように思います。
それだけではありません。まったく知らない土地に来た私にとって、想像力だけでそこに住む人たちの生活を理解することは不可能です。あちこちを車でウロウロすることで、教会を取り巻く地域がどういう雰囲気で、そこに生きる教会のメンバーがどのような生活をしているか、いくらか知ることができたのです。どんなことが主な産業なのか。どの辺りに家が密集していて、どの道がどのようにしてあちらの集落まで続いていくのか。すると、ここに住んでおられるこの教会員の方はどこで普段の買い物をしているのだろう。誰と誰が近所で、どんな付き合いをしているのか。そんなふうにして、見えてくるものがいろいろあります。そこに住む人々、その生活の背景を知ると、聖書のみ言葉から何を汲み上げることができるかと黙想する時にも、より深くみ言葉に潜れる気がするのです。
このような「郵便配達牧会」には、ずぼらで面倒くさがりの私のような者でも、1年を過ぎればほぼすべての教会員を訪問できる(突然の訪問なのでお留守の場合もある)というメリットもありました。ただし、何事も都合のいいことばかりではありません。富士見町を中心に原村、茅野、諏訪、北杜市と1年かけて広範囲を巡ったことで、ガソリン代が高くついたのです。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし? その後は、教会の予算に無理がないように、郵便局の働きにも頼りながら、ほどほどの訪問をするようになりました。
それでも、赴任1年目。少し無理をしてでも、この郵便配達はした甲斐があったと、私は思っています。
井上 創
いのうえ・はじめ 1976年東京生まれ。明治学院大学、ルーテル学院大学、同志社大学神学部神学研究科卒業後、千葉教会、武蔵野扶桑教会、霊南坂教会を経て、現在、日本基督教団富士見高原教会牧師。趣味は漫画。