まずいレストランに何度でも来てくださる神様【聖書からよもやま話450】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 歴代誌第一の18章です。よろしくどうぞ。

ヘブル人への手紙第一 8章12節

わたしが彼らの不義にあわれみをかけ、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

神様は人間に対して「不義にあわれみをかけ、罪を思い起こさない」と言っています。なんと度量の広いことでしょう。一方で僕たち人間はといえば、他人の不義を責めたて、過去の罪をいつまでも忘れません。

たとえば芸能人の不倫スキャンダル。もちろん不倫は良くないことです。「不倫は文化だ」なんて開き直るのは僕も好きではありません。しかし、その不倫によって何の被害も被ってない人が、寄ってたかってその芸能人を好き放題に悪し様に言い、ひどい言葉を投げつけるのは目を覆いたくなる光景です。これはまさに「不義にあわれみをかける」の正反対のことでしょう。さらに、その不義をいつまでも忘れず、いつまでもその人を「不倫したあの人でしょう?」と言い続けます。「過去の罪を思い起こさない」の正反対のことです。

そして僕もまた、そうした人間の一人です。約束をすっぽかした人、遅刻した人、ミスした人、そんな人を責めてしまうことがあります。自分もまた時にはすっぽかしたり遅刻したりミスしたりする者であるくせに。そして、そんなことをいつまでも忘れなかったりします。神様の度量に比べて、どれほど僕の度量の狭いことか。

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UnsplashLouis Hanselが撮影した写真

レストランの食事がまずいと機嫌が悪くなりますし、一度そんな思いをしたレストランには「あそこの店はまずい」とレッテルを貼って二度と行かなかったりします。まぁそれはそれで当然の反応かとも思うのですが、しかしそんな態度は実は神様の態度とは反対なんです。神様の度量というのは、レストランで料理がまずくてもそのことを責めずに「そんなこともあるよ」と言い、そして「この前はまずかったけど、今日もまずいとは限らない」と、またそのレストランに行くというようなものです。そしてそのレストランが毎回毎回まずくても、それでもまた「今日も来たよ」と美味しい料理を期待して来店してくださるのが神様です。

僕たち人間は一人一人がこの「まずいレストラン」なんです。僕たちは「一度でもまずい料理を出してしまったら、そのお客さんは二度と来てくれないだろう」と諦めてしまいます。しかし神様は何度でも何度でも、「今日こそきっとおいしいでしょ?」と期待して、何度でも何度でも来店してくださるんです。いつかきっと、神様においしい料理を出すんだと、出せる日が来るんだと、それを信じて日々歩んでいきたいなと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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