割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
ガラテヤの信徒への手紙6章15節(参照箇所同書6:11〜16)
パウロが、「割礼の有無は問題ではなく」とさらりと言うわりには、この問題は初代教会にとっては重大なことでありました。律法に忠実であろうとするのか、律法の縛りから自由になるのか、それによってキリスト教の性格が変るほどのことでした。実際問題としてキリスト教が地中海世界に拡大することができるかどうかの問題にまで発展して、パウロ自身がペトロを始めエルサレムのユダヤ伝統主義者たちとの対立もここに原因がありました。
それほどの重大問題であるにもかかわらず、「割礼の有無は問題ではなく」と言うのは、その問題が救いの本質を揺がすことではないと考えたからです。救いの本質は、罪が赦(ゆる)されることにある、罪が赦されるとは神と人間との間が正しくされ、義となることである、これが彼の救いの理解でした。「大切なのは、新しく創造されることです」と強調したのは、彼のその信念によるのです。
わたしたちの教会にも、対立した問題が起こることは珍しくありません。そうしたときには、何が救いの本質であるかをきちんと把握しておくことは判断の重要な決め手となることを、このパウロの理解は教えているものと思われます。