主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 サムエル記第二の4章です。それではよろしくどうぞ。
◆サムエル記 第二 4章11節
まして、この悪者どもが、一人の正しい人を家の中で、しかも寝床の上で殺したとなれば、私は今、彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らずにいられようか。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ダビデの部下たちが、ダビデの敵であったサウルの孫の首を持ってきて「さぁ、わたしたちを褒めてください。主があなたの敵であるサウルに、その子孫まで復讐したんです」と言いました。敵の孫の首を取ってきたのなら、戦国的な慣わしなら大手柄です。ダビデが生きたこの時代も戦乱の中にありましたから、これは普通に考えれば大手柄だったことでしょう。
しかし、ダビデは怒ってこの部下たちを処刑してしまいました。「私は敵であるサウルの首を取った者でさえ、処刑した。まして君たちは何の抵抗もしない、なんの理由もないその孫を殺したのだから、その責任を問わずにはおけない。だから死刑」というわけでした。
ダビデの敵であったサウルはすでに別の部下によって命を落としていました。しかもサウルの首を持ち帰ったその部下は「まがりなりにも神様に選ばれた人を殺すとは何事だ」と、処刑されていました。それなのに、この部下たちは「サウルの息子を殺せば褒められるだろう」と、無抵抗なサウルの息子を殺して、首を持ってきたのでした。
ダビデは、サウルと政治的には敵対していましたが、サウルが神様から選ばれた器だということは認めていましたし、人間としてのサウルのことは憎んでいなかったのだと思います。ましてその息子ヨナタンとダビデは親友でした。だからこそダビデはサウルを殺した部下にも怒りを覚えましたし、まして親友ヨナタンの息子まで殺されたとあっては、怒りを抑えることができなかったのでしょう。
現代の政治を見ても、政治的には対立して論争を繰り広げている人同士でもプライベートでの仲は悪くないなんてことは往々にしてあるようです。対立する政党に属しているからと言って、個人同士が対立しているとは限らないわけです。どうしてもついつい僕たちはそこのところを混同してしまいます。政治的に敵なら人格的にも敵にちがいない、と思ってしまいがちです。しかし、それはそれ、これはこれ。政治的な敵対は多くの人に見えやすいので目立ちますが、人間としての他の面では多いに尊敬しあっていることだってあるわけです。そこを混同してしまうことによって、政治家の支持者同士の要らぬ争いを生んでしまっているように思います。
だって反対に、あなたの友達が政治的に意見が合わなかったとして、あなたはそれだけでその人と友達であることをやめますか?ましてその子や孫に至るまで恨んだりしますか?多くの面では友達なのに、ただ一点の相違によって殺し合いにまで発展してしまう、人間の罪の悲しさを思います。
それではまた来週。
主にありて。
MAROでした。
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