主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、 マルコの福音書の9章です。それではよろしくどうぞ。
◆マルコの福音書 9章35節
だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
「リーダーシップ」という言葉が世の中で以前より多く聞かれるようになりました。「もっとリーダーシップを発揮すべきだ」とか「リーダーシップが足りない」とか。でもそもそも、リーダーシップってなんでしょう。リーダーとしての適正といった意味でしょうか。
ではリーダーとしての適正ってなんでしょう。効率よく人に指示を出して集団を効果的に動かす人でしょうか。自分がなんでも率先して行って士気を上げる人でしょうか。他の人のミスをカバーしてリスクを最小限に抑える人でしょうか。これらはたしかにどれもリーダーシップとして必要な要素です。しかし聖書ではまず「皆に仕える者になりなさい」と、リーダーシップについて教えています。
ボストンで音楽プロデュースの勉強をしていた頃、授業中に先生からプロデューサーとは即ちリーダーとはどんなやつだと思う?」と尋ねられました。色々な答えが飛び交いましたが、最終的に先生が教えてくれたのは「チームのメンバー全員が最高のパフォーマンスを出せるように、環境を整えるのがプロデューサーなんだ、つまり召使い(Servant)だよ」ということでした。
「仕える者」と同時に「皆の後になり」とも聖書は教えています。山に登る時、一般的な基本としてはパーティのリーダーは一番後ろを歩くとされています。これはパーティ全員にリーダーの目が届き、足が遅れる人がいたら助けることができるからです。リーダーが先頭にいたらパーティメンバーのことを見ることができません。
日本で「リーダーシップ」と言うと、「自分から率先して動き、チームメンバーの模範になる」とか「先頭に立ってみんなをぐいぐい引っ張る」というイメージを持つ方も多いかと思いますが、世界的にはこれは少し古いイメージです。近年では「Servant Leader(サーバントリーダー)」と言って、聖書にあるように「一番後ろで、みんなに仕えるタイプのリーダー」が求められるようになっています。
「リーダーに任命されたは良いけど、どうやってチームを動かしたら良いかわからない、思うように動かない」と悩んでいる方は、まずチームの環境を整えるところから始めるのが良いかもしれません。僕がプロデュースの先生に具体例として教わったことの一つは「朝のレコーディングならスタジオに1ダースのドーナツを持っていけ。たった5ドルでみんなのパフォーマンスが上がるんだからな!」でした。ミュージシャンは朝に弱い人も多いですから、朝ごはんを抜いてしまってパフォーマンスが落ちてしまったり、空腹でイライラしている人がいたりするんです。そういったパフォーマンス低下をドーナツは防ぐことができるんです。あるいは、レコーディングメンバー一人一人に、名前を呼んで挨拶することも効果的でした。人は名前を呼ばれることで心の距離が縮まります。そうするとレコーディング中にトラブルや疑問などが生じた場合に、スムーズに意思疎通を取ることができます。意思疎通の風通しが悪いと人のパフォーマンスは低下しますから、これも大切なことです。
「リーダーとは!」と大上段に構えてしまうと、なかなかチームはよくなりません。でも1ダースのドーナツや一言の挨拶が、みんなのパフォーマンスを上げてくれると思えば、少し気楽になるんじゃないでしょうか。「リーダーは気楽に構えてドーナツを買え」これは今でも僕の大切にしている考え方です。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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