もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。
民数記14章8節(参考箇所同書14章1〜45節)
程なく約束の地カナンに入ろうとするとき、イスラエルの民は、過酷な荒れ野の旅に耐えかね、モーセとアロンに対して夜通し泣き言を言ったとあります(1節)。行く手が定かでないとき、人は、これ以上は何もできないと言い、もとの生活の中にいるほうがましだと思うものです。
イスラエルの民たちは、エジプトを出て乳と蜜の流れる土地を目指して、新しい未来への旅を始めたのでした。けれども導かれた荒れ野の旅は、あまりにも苦難の連続で彼らは希望を失い、先へ進む心失ったのでした。「エジプトへ帰るか、このまま荒れ野で死ぬか」とつぶやいたと聖書にありますが(2節)、新しい未来への旅を拒まれた者の決まり文句とでもいうべきセリフ、「もう駄目だ」と同じです。
しかしモーセの後継者ヨシュアは、この光景を見て「我々が主の御心に適うなら・・・」と言います。言い換えれば、主が望まれることに従うならということです。わたしたちが望むことではないのです。主がわたしたちに望まれることは何かを考える、そこに思いを置けば、乳と蜜の流れる地へ向かって進むことができるでしょう。