高齢者の奉仕をどう断る? 白井幸子 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

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Q.どうしても奉仕したいというご高齢の方に、「教会のために辞退してほしい」旨をどう伝えるべきか悩んでいます。(40代・牧師)

客観的には、教会への奉仕はとても無理と思われる方が奉仕を申し出ておられるという状況のようですね。その方は礼拝へ出席されることは可能なのでしょうか。出席されるとしてとしても、だれかに助けられてようやく出席されているのでしょうか。それとも、出席することは無理で休まれることが多い方なのでしょうか。いずれの場合も、周囲から奉仕は無理とみなされる中で奉仕を申し出られるということは、すばらしいこと、そして、うれしいことですね。このすばらしい申し出を断るのではなく、生かす道があるのではないでしょうか。

奉仕といっても、その形と働きはさまざまです。教会のさまざまな活動に準備をし、計画を練ることができる方は準備し、計画を練ることによって、当日働くことができる方は働くことによって、出席できる方は出席することによって、語ることができる方は語ることによって、書くことができる方は書くことによって、そして、何もできないと思われる方は祈りを合わせることによって、奉仕に参加することができます。

ある感謝会で、身体の弱い方が、「私は、教会のために何もできないことをいつも申し訳なく思っています」と言われたことがありましたが、牧会者がすぐに、「いいえ、私たちはあなたのような方によって支えられているのです」と答えられたのを思い出します。教会の特別な行事や集まりの日に、出席できない高齢の方から寄せられるカードに託された感謝と祈りの言葉は、何にもまさる励ましとなる神からの祝福です。

午後3時になると、「3時の祈り」という時間を合わせた祈りに参加している人々もいます。礼拝に出席できない日は礼拝の祈りの時にあわせて、家庭で、職場で、時には病院のベッドで、共に祈ってくださるならば、それが何よりの奉仕となるように思われます。

キリストを主と信じる者の地上の共同の歩みに、参加すること自体が最大の奉仕ではないでしょうか。

しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。

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