そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。
ルカ23章34節(参考聖書箇所同書23章32-38節)
主は十字架の上から、「父よ、彼らをお赦しください」と執り成しの祈りを捧げられます。「自分が何をしているのか知らない」からであるとその理由を言われるのです。 ユダヤ人やローマの兵士たちは、もちろん自分たちがなにをしているかよく分かっています。天下の大罪人、反逆者を死刑に処することは当然であるからです。しかし彼らの真実が、主にとっての真実となり得ないことは明白です。彼らは、彼らを死ぬことによって救ってくださるお方を死へ追いやるのだということに気付いていないのです。 しかし主は彼らを救うために、御自身の死を彼らに差し出されます。死以外に彼らを受け入れる仕方はどこにもないのです。これは徹底した愛のかたちです。言い換えれば、赦しとは徹底して愛することです。 主を死へ追いやる者たちは、自分たちなりによしとする行為がそのまま受け入れられている、しかも受け入れられた結果は主を死に追いやっている、それほど主は彼らを愛しておいでになることを知らないだけなのです。そのことを考えれば、この言葉は今日のわたしたちのため、語られているというべきでしょう。