岡島記念病院の前にタクシーが停まった。
ドアが開くと、飛び降りた真沙子は小走りで玄関を入っていった。リノリウムの床に真沙子の足音が響いている。受け付けを通り越してまっすぐにエレベーターに向かい、中に入ると7階のボタンを押した。
「早く。早く着いて!」
真沙子は口に出して叫んだ。
エレベーターのドアが開くと、フロアの長椅子に謙作が座り込んでいた。
「ケンちゃん」
謙作がゆっくりと顔を上げた。
「藤崎先生は……」
「助かった」
真沙子は謙作の隣にくずおれるように座り込んだ。
「よかった……」
「発見が早かったらしくて」
両手で顔を覆った真沙子は、しばらくうつむいたままの姿勢でいた。
「大丈夫、マコ?」
「大丈夫。覚悟の上のことだもの」
顔を上げた真沙子は、滲(にじ)み出た涙を指で拭った。
「子供たちは?」謙作が尋ねた。
「お隣に預けてる」
看護師がワゴンを押して詰め所から出てきた。職員がカルテを手に通り過ぎていく。面会コーナーではパジャマ姿の患者や見舞い客たちが談笑していた。
真沙子はぼんやりとその光景を眺めていた。
心が麻痺(まひ)してしまったようで、何も考えられなかった。恐れていたことがやはり起こってしまったのである。その衝撃から抜け出せずにいた。
「とにかく助かったんだ」
謙作がつぶやいた。自分に言い聞かせているようだった。
「そうよね」
「感謝しなくちゃな」
「うん……」
しばらくして主治医の辻(つじ)から説明を受けた。身体は数日で回復するはずだが、精神状態が落ち着くまで面会は許されないとのことだった。
謙作は真沙子といったん帰ることにした。昼食もまだだし、仕事も残っている。
謙作はふみのことを思い出し、病院から電話をした。
「藤崎先生と連絡がとれました」
「先生はどちらに」
「急病で……入院されましたが、たいしたことはないようです。ご心配だと思って、取り急ぎお電話させていただきました」
本当のことは今は話せない。
申し訳ないと思いながら電話を切った。
夕方になって、謙作の携帯電話が鳴った。
「岡島記念病院の辻といいます」
「辻先生、先ほどはどうも……」
「実は……」
辻医師の声は、なぜかためらいがちだった。
「何か?」
「藤崎さんについ今し方、事故がありまして……」
「事故?」
「看護師が目を離した隙(すき)に、窓から……。残念ですが藤崎さんは、お亡くなりになりました」(つづく)