だいぶ前に見たYouTubeの動画です。北海道でロケット開発をしている植松電機の植松努さんによるスピーチでした。
ロケット開発は植松さんの小さいころからの夢だったそうですが、大人たちにそれを話すと「どうせ無理」と言われたそうです。しかし、紆余曲折を経て植松さんはいまロケット開発に携わっています。「『どうせ無理』というふうに言うのは、やったことのない人なんです」とおっしゃっていました。なるほどと思いました。
数年前、ある若い女性の中学の国語教師の授業を何度も見る機会がありました。図書館における「調べ学習」で、「職業」について調べるものでした。当時の中学生のなりたい職業のトップは「YouTuber」でした。あれから何年もたち、コロナも流行り、いかにYouTubeが食えないかもわかってきたところで、いまどきの子どもがそんなに「YouTuberになりたい」とは言わないかもしれませんが、当時はそうでした。その若い教師が口を酸っぱくして言っていたのが、「YouTuberなど目指すな」ということでした。
しかし、いまの私は、あまりにも普通の事務職みたいなものが向かな過ぎて、もし次の仕事を考えるなら、まだしもYouTuberみたいなもののほうが現実味が出てきている感じになっています。ほんとうにYouTubeをやるかどうかは別問題として、それくらい「普通の仕事」が向いていない、逆に特殊な仕事が向いている人もいるのです。その教師も、まさか自分がYouTuberを目指したことはあるまい。彼女もまた、「どうせ無理」と言う大人の教師で、そして自分でやってみたことのない人だったと言えます。
しかし、植松さんにしても、「成功例」だからこそ大きく取り上げられている面はあります。その何十倍もの人が、自己実現できていないでしょう。YouTuberになりたくてなれなかった若者も多いに違いない。私の弟もバンドで食っていこうとして無理だった「バンドマン崩れ」です。かくいう私も「数学者崩れ」ではないか。聖書に出てくる病気や障害が癒やされた人の話も、奇跡的にイエスと出会えた数少ない「成功例」が載っているに過ぎないのです。そして中高の教員はやたら学年通信などにイチローや大谷翔平らの「数少ない成功者」の言葉を引用し、「やればできる」とか「求めよ、さらば与えられん」などと言ってハッパをかけるのです。さっきの「どうせ無理」と矛盾しているではないか!
やっぱり「やればできる」と「どうせ無理」の中間くらいがいいな。「やったらできるかもしれない」くらいの。私は将来ある若者ではなくて、キャリアなしの46歳ですけど、気持ちは21歳くらいのつもりで、新たな船出をせねばなりません。大谷翔平とまではいかなくても、せめて食えるようにはならないといけません。「やったらできるかもしれない」の精神で!
腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。
ハタから見たほうが見えやすい 【発達障害クリスチャンのつぶやき】