キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。
コリントの信徒への手紙一15章14節(参照箇所同書15章1〜19節)
「死者の復活などはない」(12節)という声は、キリスト教の歴史2000年の間、ずっとつきまとってきた批判です。にもかかわらずこの批判を越えて、ほぼ20億の人々がキリストを信じる者となりました。パウロがもし今日の教会の姿を見るなら、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」と言う言葉が、2000年間どれほど強く人々の胸を打ち続けてきたかを知って感激することでしょう。
なぜ「死者の復活などはない」という批判に打ち勝って、福音は人々にキリストの復活を信じる信仰を与えたのか、それは謎ではありません。キリストの復活が教えではなく、出来事であったからです。かつその出来事の証人がいたからです。「とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのです」(11節)とパウロは言います。キリストの復活は、何はさておき、「とにかく」伝えなくてはおれない出来事だったからです。とりわけパウロは直接の体験者として、伝えずにはおれなかったはずです。
教会は、その証を引き継ぎ日曜日を主の日として礼拝を2000年間守り続けてきました。キリストの復活が出来事であったからです。