ぶどうの価値と人の価値【聖書からよもやま話239】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書 エゼキエル書の15章です。それではよろしくどうぞ。

◆エゼキエル書 15章2節

人の子よ。ぶどうの木は森の木立の中にあって、ほかの木より枝がどれだけすぐれているのか。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

もうすぐぶどうの旬の時期がやってきます。ぶどうはそのまま食べてもおいしいですし、ジュースにしたってワインにしたってレーズンにしたっておいしい万能フルーツです。聖書にも他のフルーツよりも多く、しかも様々な意味をもって登場しますし、世界史を見てもこれほど人類に多大な影響を及ぼしたフルーツは他にないとさえ言えます。

そんなぶどうですが、木自体は木材として特に有益な特徴はありませんし、燃やして良い香りがするわけでもありません。木として立派に大きく育つわけでもなければ、特に美しい花を咲かせるわけでもありません。ぶどうの木は、木自体が立派だからおいしい実を与えられているわけではないんです。反対に、ぶどうの木がもし、ぶどうの実を結ぶことがなければ、人は誰もぶどうの木になんて見向きもしないでしょう。

神様に従う民も似たようなものです。信仰は、その人が立派だからという理由で神様から与えられるものではありません。むしろ何も立派なところのない人にこそ、信仰は与えられます。クリスチャンにもし信仰がないのなら、それはぶどうの実を結ばないぶどうの木のようなものです。誰にも見向きもされません。

よし、では頑張って神様に忠実に生きよう!立派な信仰の実を結べるように努力しよう!・・・って、それはちょっとちがいます。だってぶどうの木は何の努力もしないですから。ぶどうの木はただひたすらそこに生き、必要な陽の光と雨を浴び、大地から養分を吸収して実を結びます。自分の努力で日光や、水や、養分を得るわけではありません。天と地からの恵み、つまり神様の恵みを受け取ることによって、自ずとその実を結びます。

神様に従う民も似たようなものです。大切なのはまず神様の恵みを受け取ることです。受け取れば自ずと実を結びます。そして、その実にこそ価値があるんです。神様の恵みをたくさん受け取って、その結果として自ずと生じるもの。それにこそ、人間の真の価値があるんです。その価値を忘れてしまう時、人は自分の価値を見失って自信を失ってしまいます。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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