愚者は経験から、賢者は歴史から、もっと賢者は聖書から学ぶ【聖書からよもやま話231】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書 箴言の3章です。それではよろしくどうぞ。

◆箴言 3章5節

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と、ドイツ宰相ビスマルクさんが言いました。愚かな人は自分で失敗するまで間違いに気づかないけれど、賢い人は先人の失敗から学んで、それを繰り返さないようにするということです。人間というのは今も昔も変わらない性質を持っていますから、先人がたくさん犯した間違いは自分にとってもまた陥りやすい間違いですし、同じ失敗をする可能性は自分にも十分にあります。

たとえば3歳の子が「髪の毛は白くなんてならないよ。だって僕の髪の毛は今まで一本も白くなったことなんてないんだから」と言ったらどうでしょう。その子はまだ自分で白髪を経験したことがないだけです。しかし大人から見れば「いつか白髪は生えてくる」というのは明らかなことです。それは自分の経験でもありますが、先人たちの経験でもあります。

聖書から学ぶということは、歴史から学ぶのと同じです。聖書は物語ではなく歴史書だからです。そこにはたくさんの人たちのたくさんの過ちがこれでもかというほどにたくさん、赤裸々に、生々しく描かれています。そして聖書から学ぶということは歴史から学ぶ上に、さらに神様に知恵をあおぐということでもあります。歴史から学ぶだけでもすごいのに、さらに神様の知恵までいただけるんですからまさに鬼に金棒です。

統計をとるにはそれなりの数のサンプルが必要です。サンプル数が少なければその統計の信頼性は下がります。たとえば「これを使ったら50%の人の白髪が黒くなりました!」という薬があったとして、「2人が使って1人の髪が黒くなった」というのと、「10000人が使って5000人の髪が黒くなった」というのとでは、同じ「50%」という数字でも信頼性がまったく違いますよね。自分の経験から学ぶというのはこのサンプル数が「1」だということです。もちろん同じ仕事を繰り返していれば、1人でたくさんのサンプルを得ることもできるかもしれませんが、しかしそれでも1人の人間が経験できるサンプルというのは限られています。だからこそ人間には先人や同時代人の経験を借りることが必要です。これが「歴史に学ぶ」ということだと思います。

しかし歴史に学ぶにも限界があります。歴史は常に過去のことですからこれを学んでも未来のことはわかりません。その点、神様はアルファでありオメガである方ですから時代を超越してすべてをご存知です。もちろん未来のこともです。ですから聖書を学ぶということは過去と同時に未来をも学ぶことになるんです。

愚者は経験から学び、賢者は歴史から学び、もっと賢者は聖書から学ぶ。こんなことを、思わされます日々。ただしもちろん、聖書を自分の経験と勝手解釈で学んでしまっては本末転倒です。聖書を学ぶのにだって、2000年間に積み重ねられてきた歴史と経験を学ぶことは大いに必要なことです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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