「神様を信じればよかったのに」と後から言うのは簡単です。【聖書からよもやま話100】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日でちょうど100回目です。まだ完走まで1089回ありますが、それでもこういう節目ってなんだか嬉しいものですね。

さて今日は 旧約聖書、エレミヤ書の43章です。それではよろしくどうぞ。


◆エレミヤ書 43章2節

あなたは偽りを語っている。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

これは、神様が人々に言ったことばではありません。神様のことばを預かって人々に伝えていたエレミヤが、人々から言われたことばです。神様から「みんなにこれを言え」と言われたからみんなにそれを言ったのに、みんなからは「神様がそんなこと言うわけがない。お前は嘘つきだ」と言われてしまう。完全に板挟み。エレミヤさんはさぞ胃が痛かったことだろうと思います。

この後、これを言ってエレミヤのことばに逆らった人たちは、きっちり神様からお仕置きをされます。具体的にはバビロンのネブカドネツァル王によって、イスラエルの民は滅ぼされて、バビロン捕囚という歴史的な苦難を通過することになったんです。

あーあ。ちゃんと神様の言うこと、エレミヤの言うことをきいておけばよかったのに。どうして旧約聖書の人たちって神様に従わないんだろう。従っておけばいいのに。

なんて、後世から結果を知った上でこれを読む僕たちは思ってしまったりするのですが、「今」を生きる人たちに、「未来」から上から目線で接するのは考えものです。現代に生きる僕たちだって、未来から見たら間違った選択を連発しているかもしれません。エレミヤのことばに従わなかった人たちだって、決して悪意や愚かさによってその選択をしたわけではなく、彼らなりに最善の選択を行っていたんです。むしろ、エレミヤの言うことの方が「そんな現実離れしたことを言うな!」というものだったかもしれません。神様は、時に「現実的な」「実現可能な」ことを否定します。そして「非現実的な」「実現不可能な」ことを求めたりするんです。それは「非現実的な」「実現不可能な」ことが成就してこそ、神様の栄光が示されるからです。「現実的な」「実現可能な」ことが成就しても、人々は「俺たちの力で成し遂げた!」と思い上がるばかりで、最終的にはその驕りから争いや不幸が起こります。

・・・よし、では神様の「実現不可能な」命令にこそ従おう!と思っても、これはなかなか難しいことです。人間はどうしたって、自分の力で成し遂げられる(ように見える)ことは、自分の力で成し遂げたいものです。そして「実現不可能な」命令には、「そんなの嘘だ!」と反応してしまうものです。

神様を信じるというのは、思う以上に難しいものです。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

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