“日本にもチャプレンが必要です” 前編 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第5回

2週間の隔離期間が明け、私はやっと外に出ることができた。まだアメリカに残れなかった失意の中にいたが、前に進まなくてはならない。日本で病院のチャプレンとして働き、同時にフルタイムの教会牧師として働くことは現行の制度ではできない。これもまた一つのハードルだったが、ルーテル津田沼教会がチャプレン志望の私をフルタイムでない形で招聘してくれた。温かく迎えてくれる教会の人々、そして2年ぶりに立つ日本の教会。懐かしくも温かい気持ちになる。

こうして私は日本の牧師に戻った。けれども私の中で牧師とチャプレンは一つ。私はまだ「私」に戻れていないと感じる。帰国前後よりチャプレンの職を探していたが、日本ではごくごくわずかなキリスト教系病院でしかチャプレンの求人はない。しかもそこに空きがあるわけでもない。いくつかの病院に面接をしてもらったが、さまざまな条件が合わず、どうしても職を得ることができない。

焦る気持ちが湧いてくる。2年前アメリカに旅立とうとして、コロナパンデミックで計画が消えそうになった時と同じ感覚だ。先が見えない。どうなっていくか分からない。すでに「チャプレンをやります!」と表明しているが、その糸口がまったく見えないのだ。

そんな最中、狭い界隈で噂が流れはじめる。「関野牧師がどこそこの病院でチャプレンをするらしい」とか「またすぐアメリカに戻るらしい」「前にいた教会の牧師になるらしい」などなど。しかも、そんな噂を流布しているのが牧師だからなおさら腹立たしい。そして、こんなくだらないことを聞き流せない自分の器の小ささに嫌気がさす。とにかく私は焦っていたのだ。

その間にも毎月のようにさまざまな学校や病院から、「アメリカコロナ病棟で働いてきたチャプレン」としての講演依頼が入る。全国をまわると、学生や若い医療従事者たちが食いついて話を聞いてくれる。日本では「死」についてのリテラシーが低く、「死」について語ったり、準備をしたりする機会が極めて少ない。誰もがいずれ関わる身近な人の死、そしていつか必ず訪れる自分の死の話をすればするほど、皆が熱心に耳を傾けてくれる。だが、嬉しい反面、話せば話すほどに虚しさと悲しさが募る。

その理由は、私がもうチャプレンではないからだ。アメリカの激闘の日々はもう過去のこと。私自身が最も嫌いな、過去の自分にしがみつく牧師になっているのだ。だが仕方がない、今の私は過去にしがみつくしかないのだ。そして過去にしがみつけばつくほど、人々は私の話を聴いてくれるのだ。そうやって講演が終わり、たくさんの拍手をもらうたび、虚しさに包まれるのだ。

そんなある日、講演を終えると何人かの学生が私のもとにやってきた。質疑応答の時は誰も手を上げなかったはず。ある学生は数年前に家族を亡くし、その最後に寄り添えなかった悲しみを語ってくれた。また他の学生は家族が余命宣告を受けていて、毎日平静を装っているが、本当は毎日泣きたいほど辛いとの思いを語ってくれる。職員や教授もやってきては抱えている苦しみ、まだ癒えていない死別の悲しみを話してくれる。そして私はそこでその場しのぎの慰めの言葉や天国の話をしないし、できない。答えもなければ、気の利いたひと言も持っていない。ただただそこに立っていて聴かせてもらっているだけだ。最中、誰かがこう言った。「関野さんには話せる。日常的に会うことがないから……」と。

そうか……仲間や同僚、同じコミュニティの者には逆に弱さを出せない。でも、私は通りすがりの誰か。いや、通りすがりのチャプレンになれているのではないか。病室だけで働くのがチャプレンではない。人が人である以上、必ず死別、喪失、乗り越えられないさまざまな悲しみに直面する。そして、そこに耳を傾けるのがチャプレンなのではないか。この日本でもチャプレンができるはず。いや、日本ならではのチャプレン像をつくれるのではないか。かすかな希望が見えてきた。

アメリカ太り~無駄なものを削ぎ落とす2週間 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第4回

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