専門用語を羅列して悦に入る自己満な人々 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

Image by Gerd Altmann from Pixabay

 パソコン音痴である私は、パソコンやスマホなど、わからないことがあると、とりあえず検索します。「検索」も苦手なのですが、だいたいパソコンのわからないことのうち4割くらいのことは検索で解決します。同じことで悩んでいる人が世の中にはいて、そういう人のための解説がヒットするからです。ただし、意味不明の解説が時々あります。専門用語を羅列するだけで、まったくわからないのです。これはパソコンに限らず、いろいろな場面で言えることです。

 私はかつて教員でした。7年くらい前に「教員免許更新講習」をオンラインで受けました。「子どものメンタルヘルス」にかんする講座を受講しました。その講座は、前半と後半で先生が違いました。前半の先生は平易な言葉で語っておられ、よく理解できました。後半の先生は専門用語ばかり羅列していて、よく理解できません。質問機能でその後半の先生に質問すると、その答えがまた専門用語の羅列で、やはり理解できませんでした。この2人の先生でどちらが賢い先生かというと、明らかに前半の先生です。専門用語の羅列をしないと説明できない後半の先生は、あまり賢いとは言えないでしょう。

 お医者さんもそうだと思います。いい医者ほど、どんな患者でもわかるように平易な言葉による説明ができます。医学用語の羅列になる医師は、あまり賢い人とは言えないと思います。なんとなく難しい言葉を並べられて理解できないと、こちらの理解力不足のような気がすることもありますが、実は説明するほうがヘタだという可能性が高いのです。専門用語の羅列に終始する人は、それらの言葉を自分の中で咀嚼(そしゃく)できていないのです。本来は、それらを「かみ砕く」のが専門家の仕事のはずです。

 みなさんはインターネットで、キリスト教会の説教を読んだ経験はありますか? あるいはコロナ禍以後、オンライン礼拝やオンラインによるミサ配信が当たり前になりましたが、そういう動画を見た経験はおありでしょうか。実は、ネット上に流れているキリスト教の説教のほとんどは、クリスチャン歴21年になる私にとってもちんぷんかんぷんです(あくまで個人の感想)。

 要するにキリスト教専門用語の羅列なのです。数年前に私が「執筆活動」を始めるきっかけになった理由のひとつは、「ネット上にあふれるキリスト教の説教が初心者にはわかりにくい」ということでした。私の書く文章がわかりやすいかどうかは別として、確かによい牧師の説教は信者でなくてもよくわかり、よい牧師の書く本は信者でなくてもよく理解できる本であることが多いのです。残念ながら、そういう本はあまり多くありませんが。

 というわけで、よい医者の言うことは平易でわかりやすく、よい牧師の説教は信者でなくてもよくわかります。これはどんな専門分野でも言えることではないでしょうか。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

なんでオレがこんな目にあうの? オレなんか悪いことした? 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

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