主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 雅歌の2章です。それではよろしくどうぞ。
◆雅歌 2章5節
干しぶどうの菓子で私を力づけ、
りんごで元気づけてください。
私は愛に病んでいるからです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
雅歌というのは「聖書のラブソング集」です。恋慕う男女の歌がたくさん記されています。「愛する人を恋慕うように、神様を恋慕いなさい」というメッセージが含まれているのだそうです。たしかに漠然と「神様を愛しなさい」と言われるよりも、「一番大好きな人を最大限の情熱をもって愛するように神様を愛しなさい」と言われた方が実感が湧きやすいですものね。
さてさて、恋には恋わずらいがつきものです。人は時として、愛する人を想うあまりにとか、思いが届かないのが苦しくてとか、そんな理由で食欲がなくなったり、眠れなくなったり、ひどい時は熱を出したりさえします。甘酸っぱくもありつつ、苦しいものでもあります。
この詩人は、自分は恋わずらいにかかっているから干しぶどうの菓子やりんごで元気づけて欲しいと願っています。僕にも思い当たるところがあります。もうかなり昔の話ですが、失恋をして落ち込んで何も手につかないような状態だった時、見かねた母が僕の大好物の芋けんぴを一袋くれました。その芋けんぴをバリバリと食べたら、不思議と元気が出てきたものです。芋けんぴはいつだってすこぶるおいしいですけれど、あの時ほどおいしく感じたことはありません。
恋に限らず、気持ちが落ち込んで食欲がなくなってしまった時には、甘いものが有効だと思います。もちろん人それぞれ好みだとか個人差だとかはあるでしょうけれども。人によっては「甘いものより脂こってりのラーメンがいい!」という場合だとかもあるでしょうけれども。とにかく、食べたいものを思いっきり食べることが、元気復活の鍵になってくれるように思います。もうそんな時はカロリーとか栄養バランスとか気にしている場合ではありません。そんなものは元気な時に気にすればいいのです。落ち込んでいる方には、まずはとにかくパフェでもチョコでも芋けんぴでもラーメンでもハンバーガーでもエビフライでもなんでも「食べたい!」とか「これなら食べられる!」とか思ったものを何も気にせず存分に食べて欲しいです。それで心がどん底から浮き上がり始めることも多々ありますからね。
なんだか、今日の箇所を読んだ時に「あぁ、聖書の時代の人たちも同じだったんだな」って、共感を覚えました。「落ち込むと甘いもの欲しくなりますよねー、わかるわかる」って。そして「だからそれでいいんですよね、人間だもの」と思いました。
しかし一方で、僕は芋けんぴをやけ食いするほどまでに情熱的な恋をしたことはあるけれど、神様を愛するために芋けんぴをやけ食いしたことはないな、とも気付かされました。僕の信仰は、少なくともまだあの恋よりは弱いものなのだと。まぁでもそれは、神様が一度たりとも僕を振ったことがないからかもしれません。伝わらない想いだとか、受け入れられない想いだとか、恋にはそんなものがつきものですが、神様は思いのすべてを受け止めて受け入れてくれる方ですからね。
話が少しずれてしまいましたが。今、落ち込んでいる方。心がどん底にある方。もし食べられるなら騙されたと思って好きなものを好きなだけ食べてみてください。話はそれからでもきっと遅くないですから。
それではまた来週。
主にありて。
MAROでした。
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