近頃はカラスでさえカカシを怖がらないけれど。【聖書からよもやま話152】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、  エレミヤ書の10章です。それではよろしくどうぞ。

◆エレミヤ書 10章5節

それは、きゅうり畑のかかしのようで、
ものも言えず、歩けないので、
運んでやらなければならない。
そんなものを恐れるな。
害になることも益になることもしないからだ。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

神様はここで、偶像礼拝や偶像をつくることを禁止しています。当時のイスラエルでは、神様に従わない多くの人たちが、他の神々の像をつくってそれを拝んでいました。そんな像を神様は、「そんなものは、かかしと同じだよ」と一蹴しました。かかしを恐れるのはカラスやスズメだけで、人間はだれも恐れません。カラスやスズメでさえ、すぐになれてしまって怖がらなくなります。それと同じ意味しかない神々の像を、どうして恐れて拝む必要があるのか、そんなことはやめてしまえ、と神様は言っています。

像を作ると、色々な弊害もでます。たとえばもし、全国の教会が神様の像を拝んだとしたら、きっと次第に「うちの教会の像は隣の教会のよりも立派だぜ!」と自慢したり、「隣に負けない大きな像をつくらなければ!」と嫉妬したりで、神様そのものよりも、像の方に意識が向いてしまって、本来の信仰が守られなくなってしまいます。キリスト教で大切なのはイエス様が十字架で死に復活したという事実とそれによる恵みであるのに、それよりもキリスト像ばかりが大切にされてしまっては、神様が人類に与えてくれた福音という大きなプレゼントは無駄になってしまいます。ですから聖書には何度も何度も「像をつくるな」と書いてあるんです。

さてところで、日本にはたくさんの仏像がありますけれど、この仏像というのも作られるようになったのはブッダさんが生きたよりもずいぶん後になってからのことです。ブッダさんが生きたのは紀元前5〜7世紀頃だと言われていますが、その後何百年かは「仏様を像にするなんておこがましい!」と、みんな像を作ろうなんて考えなかったのだそうで、仏像が作られるようになったのは東西の文化が融合し始めた、1世紀ごろのクシャーナ朝でのことだと言われています。インドの伝統では仏像は作らなかったのですが、そこにイランなどの文化が流入してきたときに仏像が作られるようになったのだそうです。ブッダさん自身も「私を拝んだり、像にしたりしてはいけない」と弟子を戒めていました。そして日本の歴史を見ると実際に、「大きくて立派な仏像を作るために税金をたくさん取るぞ!」とか人を救うための仏が、像を通して反対に人を苦しめる結果になってしまったこともあります。大切なのは形あるものではなく、心です。

それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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