人は「正しい」話よりも「ちょっとワル」な話の方が好きです。【聖書からよもやま話85】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の94篇です。それではよろしくどうぞ。


◆詩篇 94篇4節

不法を行う者はみな自慢します。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


悪い奴に限って、自慢が好きなものです。おじさんたちの「武勇伝」も大半は「昔は俺もワルだったんだ」的な、悪さ自慢です。「100円玉を拾って交番に届けたんだ」なんて自慢をする人はあんまりいません。それよりも語られるのは「拾った100円で飲んだ缶ジュースがおいしかった」とかです。



そんな「過去のワル自慢」のせいで、オリンピック開会式の大役から下されてしまったミュージシャンの方もいましたね。まぁあれは「ちょっとワル」なんていうレベルではありませんでしたけれど、でもご本人にとっては「ちょっとワル」くらいの認識だったのかもしれません。

自慢する人がワルだとは限らないけれど、ワルは必ず自慢する。

真面目に話せば、これは多分承認欲求なんだと思います。正しいことをすれば、人に自慢なんてしなくても「神様が知っていてくださる」と思えます。でも悪いことをしたら、神様はもちろん認めてくれませんから、人に対して自分を認めてもらうしかなくなります。だからワルに限って自慢するのではないでしょうか。自慢というか「あー、そんなこともあるよね。やっちゃうよね。仕方ないよね」と、自分の「悪」を帳消しにしてもらいたいのかもしれません。神様の前では帳消しにできない罪も、相手が人だったら帳消しにしてくれるかもしれない。そんないわば打算が、「ワル自慢」を起こしているのかもしれません。

こんなこと言いながら、僕だってそうなんです。友人たちと食事をする時とか、盛り上がるのは「ちょっとワル」な話ですから、僕もそんな話をしてしまいます。「正しい」話をしても、なかなか食卓は盛り上がらないものです。不思議なものです。みんな「正しい」話よりも「ワルな」話の方が好きなんです。これが人間の「罪」というものなのかな、なんて思わされます。

はい、そんなわけで今日も今日とて相変わらず罪深いMAROでございます。でも、その罪深い者が1日1日、神様に少しずつ変えられてゆきますように。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
蕎麦のつけつゆは「だし4:醤油1:みりん1」
かけつゆなら「だし8:醤油1:みりん1」


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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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