聖書はこれだから女性蔑視で時代遅れだ!・・・愛がなければそうでしょう。【聖書からよもやま話65】

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、レビ記の12章です。それではよろしくどうぞ。


◆レビ記 12章2節

女が身重になり、男の子を産んだとき、その女は七日の間汚れ、月のさわりの不浄の期間と同じように汚れる。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

・・・こういうことを言うから「聖書は女性蔑視だ」とか言われちゃうんですよ。まったくもう、時代錯誤も甚だしい!

なんて言いたくなるような箇所です。出産だとか女性の身体的な制約を「汚れ」と言ってしまっているんですから、「差別だ!」と言いたくなる気持ちもわかります。

でもこれ、当時の人の真意を探ると、実は差別どころか女性保護を意図しているんです。今でこそ、出産の後しばらくは入院して身体を休めることが当たり前になっていますけど、日本でもどこでも、ちょっと昔は出産してすぐに社会生活だとか労働だとかに復帰するのが当たり前でした。それを七日間「汚れ」という名目で労働から離れさせる、というのが、どうやらこの律法の趣旨らしいのです。

「熱があったら会社を休め」と言われても、なかなか休まないとか、休めない人って現代でもいますよね。そんな人を休ませるには「熱のある人は出社禁止」という決まりを作るのも一つのいいやり方です。「このくらいの熱、大丈夫です!」と本人は言っていても、インフルエンザやらコロナウイルスやらが周囲にうつってしまっては大変ですからね。

もちろん出産の後というのはウイルスとは違います。しかし「出産は病気じゃないんだから大丈夫、すぐに働きます!」と無理をして働いて、体調を崩してしまう人だとかも、当時はおそらくいたのでしょう。それで「汚れ」つまり「労働禁止」にして、強制的に休ませた、というのがこの律法の真意なのだと思います。そしてそれは、同時に生まれた赤ちゃんを保護するルールでもありました。産後すぐの赤ちゃんは生きるために、人生で最も多くのケアを必要とします。そのケアがおろそかにならないように、との意味も、この律法にはあったんです。

この律法もそうですし、現代の法律もそうですし、あらゆる「法」には律法趣旨、つまり「その法を制定する理由」というのがあります。この律法趣旨を忘れて、表面上の法ばかりを重視するようになると、どんな法も空洞化して、誤解や悪弊がたくさん起こってきます。聖書の律法は神様が制定したもので、その律法趣旨は「愛」です。そのことを忘れて、表面上ばかりを追い求めたので、律法学者たちはイエス様に「君たち、それ違うでしょ!」と怒られたんです。


愛がなければどんな律法も空虚なものです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。


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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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