誰かがこう言う。「いいかね、神はあなたの些細な問題に関わる時間などないよ、と。神は今中東問題で忙しい。神は他に大切な問題を抱えている。あなたが自分のために何かを欲しいのならば、可能な限りベストを尽くし獲得すべきなのだ。この商品を買ってみなさい、そうすれば重要人物になれる。これらの衣服を着なさい、そうすれば全ての人が如何にあなたが著名な人物であるかを分かってくれる。この本を読みなさい、そうすれば知識があなたを一般民衆よりも目立った者にさせる。あなたは自分のことは自分で面倒をみなければならない。」
なるほど。さて、と応答し始めた途端に、わたしたちはパウロが次のように憤慨しているのを聞く。
「わたしは、驚いている。あなたがたがこんなに早く、神を捨ててしまうとは。神はせっかくあなたがたをキリストの恵みに導いてくれたのに。」(ガラテヤ書1章6節)と。
わたしたちは、直感的に、あるいは直截(ちょくさい)に、このパウロの言葉は正しいと分かる。ただ、「よきニュース」だけが、あなたを特徴ある人物とする。生ける神が個人的にわたしたちに語りかけてくださる。恵み深くわたしたちを赦(ゆる)してくださる。神は中心に立って物ごとを健全にする。これこそがわたしたちが必要なもの。それをこそ、わたしたちが願うもの。わたしたちは福音に基づいた自由な生き方を放棄しないと決意する。誰かがわたしたちのため幻想的な夢物語を描いて見せ、その上、それを売りつける。そのような夢物語に生きて行くことは決してない。わたしたちはそう決意する。わたしたちは赦された者として生きて行き、信仰において他者に寄生する者ではなく、赦された者として、他者のために創造的に生きて行く。ふさぎ込んで当てもなくぶらぶら歩いたり、萎縮したり、泣き言を言うこともしない。わたしたちは賛美をささげ、果敢に挑み、行動する。神について嘘をつく人々は呪われよ!
わたしは、あなたがたがそんなにも移り気な者であることを、信じられない。キリストの恵みに招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く裏切り、異なるメッセージを喜んで受け容れようとしていることを。
―― ガラテヤの信徒への手紙1章6節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。