【連載小説】月の都(31)下田ひとみ

 

その問いをふみは志信にぶつけた。

「なぜ陶子さんが信じておられた神様は、陶子さんを助けてくださらなかったんですか」

志信の返事は淡々としたものであった。

「それは誰にもわからないよ」

「陶子さんが何か悪いことをしたんですか。一生懸命信仰していたのに、伝道師さんにまでなったのに、一番肝心(かんじん)なときに助けてくださらないなんて、おかしいじゃありませんか」

「キリスト教はご利益宗教じゃないからね」

「じゃあ、どんな宗教ですか。ご利益がないなら、信仰する意味なんてないじゃありませんか。信じる甲斐(かい)がないじゃありませんか」

「キリスト教は愛の宗教だよ。苦しみは試練だ。何が起ころうと、どんな悲惨が起ころうと、それが神の御旨(みむね)であり、神の愛の現れであると受けとめ、感謝して受け入れる。そういう教えなんだよ」

志信の冷静さが、ふみの気持ちを逆撫(さかな)でした。

ふみは語気を荒げて言った。

「これが愛ですか。陶子さんを、あんなに清らかな人を見捨てる神様が、愛の神様ですか。私にはわかりません。私には何が何だかわかりません」

ふみはまるで人が変わったかのようだった。いつものふみでなくなっていた。

「どうして陶子さんは死ななければならなかったんですか。本当の神様だったら、陶子さんを助けられたでしょう。どうして神様は陶子さんを助けてくださらなかったんですか。自殺をはかっても、助かる人もいます。思いとどまる人もいるのに。どうして陶子さんは? わからない。ひどい! これが神様ですか。愛だという神様のなさることですか。私は聖書の神様なんか、大嫌いです!」

志信は辛抱強く相手をしていたが、ついにふみの苦しみを見兼ねて言った。

「神なんていないんだ。ふみ、聖書の神なんていないんだよ」

その言葉はふみに衝撃を与えたようだった。

「そう考えれば、合点がいくだろう。神がいないから、不条理なことがこの世には起こる。陶子さんは心の病気だった。仕方のないことだったんだ」

「じゃあ、陶子さんの人生って、何だったんです?」

ふみの顔は蒼白(そうはく)になっていた。

「いもしない神様を信じて、それを布教する仕事を一生懸命して、むなしく死んでしまった、ということですか」

志信は言葉に窮(きゅう)した。

「そんなこと、私は認めません。そんな、むごいことを……たとえ、志信さんの言葉でも」

志信はどうすることもできず、部屋を出ていくふみの姿を、無力感に打ちのめされながら見つめていた。

ふみにとって志信は、もはやいかなる答えでも知っている賢者ではなくなっていたのである。(つづく)

月の都(32)

 






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