しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし(工フェソの信徒への手紙2章4〜5節)
私たちは以前、罪のために神との交わりがなく、死んでいた。神の御心(みこころ)を思わず、自分の欲するままに生きて、神の怒りを受けるべき者であった。「しかし」と、今日の聖句は語る。憐れみ豊かな神は、罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かしてくださった。すなわち、キリストは神の怒りを受けるべき罪人の私たちに代わって、十字架の裁きを引き受けて死んだ。キリストの死は、神に裁かれて死ぬ罪人の死である。そのことを私たちは知らなかった。私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことによって、神は私たちを生かす愛を現された。キリストの十字架は罪人を生かす愛の苦しみであり、その復活は愛の勝利である。
十字架の福音を受け入れ、信じてバプテスマを受けた私たちは、キリストと結ばれた。キリストの死と結ばれて、私たちの罪は贖(あがな)われ、復活のキリストと結ばれて生きる者となった。今は、苦しみの日も、悲しみの日も、死ぬ日にも、復活のキリストが共におられる。キリスト・イエスは、憐れみ豊かな神が私たちを愛して与えてくださった最大のプレゼントである。「事実、あなたがたは恵みにより、信仰によって救われました。このことは自らの力によるのではなく、神の賜物(たまもの)です」(8節) 。ああ、なんと驚くべき恵み。私たちは何をもってこの恵みに応えようか。神がキリストを与えてくださったのは、私たちが神の恵みに応えて神に仕え、隣人に仕える「善い業」(10節)を行うためであることを心に留めよう。