【連載小説】月の都(8)下田ひとみ

 

朝から降り続いていた雨が、夕方には上がった。

残照に照らされたムラサキシキブが、雫(しずく)を浴びて水晶のように光っている。桐原家の台所では、割烹着(かっぽうぎ)姿のふみが夕食の支度にいそしんでいた。

志信が帰宅すると、ふみが玄関に出迎えにきた。

「おかえりなさい」

「ただいま」

「今朝は折り畳みの傘、持っていらした?」

志信が頷(うなず)くと、ふみはやっと安堵(あんど)したとでもいうようにほほ笑んだ。

「よかった」

今朝は何もかもうわの空だったのに、いま目の前にいるのはいつものふみである。

志信はコートのポケットから包みを取り出し、ふみに渡した。帰り道、遠回りをして駅の反対側の店に寄ったのである。

「これは?」

「三善屋の羊羹(ようかん)だよ」

それはふみの好物であった。

「嬉しい!」

ふみは羊羹を花束のように抱きしめた。

夕間暮れの空はたちまちに色を深めていく。宵闇(よいやみ)が迫った中庭では、灯籠(とうろう)の明かりのもと、築山(つきやま)と池が墨絵(すみえ)のように浮かび上がっていた。

着替えを済ませた志信が階下に降りていくと、食卓にめずらしく2本の銚子(ちょうし)が並んでいた。

志信は仲間うちでは酒豪で知られている。誰と飲んでも負けないし、最後まで崩れない。一方、ふみは酒にひどく弱かった。梅酒の実を食べただけで赤くなるし、粕汁(かすじる)1杯で酔ってしまう。注射の時にアルコール綿で消毒しようものなら、拭(ふ)いた先から腕が真っ赤になってしまうのである。

そのために志信はあまり家で飲まなかった。たまに晩酌をしても一人酒。ふみは銚子を取り替えるだけである。

だが、今宵(こよい)のふみは違っていた。席に着くなり、盃(さかずき)を手に言った。

「私も少しいただきます」

食事をしながらの控えめな酒量であったが、ふみの顔はたちまちに桜色に染まっていった。

「今日、春日ノ森へ行ってきたんです」

「春日ノ森に?」

怪訝(けげん)そうに志信が訊(き)いた。眼を伏せて頷(うなず)くと、ふみは打ち明け話を始めた。

それは藤崎陶子のことであった。宝景寺での出会いから始まって、どれほど陶子に憧れていたか、どれほど会う日を楽しみにしていたかということを。そして、今日の本田家での顛末(てんまつ)を語って聞かせた。

ふみらしい。

志信は微笑して聞いていた。

ふみは美しいものが好きなのである。

「いまだに同じ人だとは信じられません。この世の人とは思えないほど、あの時は萩の精のように見えたのに。それがキリスト教の伝道師さんだったなんて。眼鏡をかけて、緊張した顔で、聖書の難しい話をされるんです。聖書ってあんなに厚いんですね。志信さんは読まれたことあります?」

志信が頷くと、ふみは誇らしげに夫を見て、言葉を続けた。

「新約聖書のルカの福音書というところからのお話でした。キリストが言われた『敵を愛しなさい』とか、ほかに何でしたかしら、忘れてしまいましたけど、私でも知っているような有名な言葉がいくつもある箇所でした。その中でひとつ、私、とても引っかかることがあったんです」

「引っかかること?」

「聖書のそのところに、『自分がしてもらいたいと思うことを、ほかの人にもしなさい』という意味の言葉があるんですが、これを藤崎先生は、『聖書の中の黄金律』といわれている、とおっしゃったんです。仏教では『おのれの欲せざること、相手に施すことなかれ』でしたかしら。つまり、『自分がしたくないことは、相手にもそれをしないでおきなさい』という意味の教えがあるそうです。すばらしい教えなので、これを『シルバー・ルール』と呼び、それに対して聖書の教えは、より積極的なので、『ゴールデン・ルール』といわれている、と」

「それで『黄金律』なのか」

「たしかに立派な教えなのかもしれませんけど……でも、本当にそうでしょうか。自分がしてもらいたいと思うことが、相手も同じとは限らないでしょう。

たとえば、電車で席を譲るとか、そういうことを考えただけでも、お年寄だからこちらは席を譲ってあげたいと思っても、相手はもしかしたらお気持ちの若い方で、席を譲られるのを侮辱のように考えておられるということもあるかもしれません。

善意の押しつけ、というか、聖書の教えは独り善がりのような気がしたんです。それに仏教の教えを『銀』として、自分たちの教えを『金』とするだなんて、いい気持ちがしませんわ。自分たちが一番という態度に引っかかってしまって。好感が持てなかったんです」

「キリスト教は一神教だからね」

ふみは一生懸命に自分の心の内を説明しようとしている。昔からそうであった。ふみは一途に思い込むところがあり、その思いを大切に胸にしまっておく質(たち)なので、易々(やすやす)とそれを人に打ち明けたりはしない。宝石箱の蓋(ふた)はいつも閉まったまま。

しかし、ひとたびその思いが解けると、それを誰かに話したくなるらしい。その誰かとは──昔も今も──志信なのである。

そんなふみを見ているうちに、志信の心にふと思い当たったことがあった。滝江田のことである。(つづく)

月の都(9)

 






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