ミゲルの棄教の真実は? 天正遣欧使節・千々石ミゲルとみられる人骨発見

 

発見されたミゲルの遺骨。頭が西側に置かれている。(写真提供:千々石ミゲル墓所調査プロジェクト)

天正遣欧使節の一人、千々石ミゲルの墓の特定に向けた発掘調査が長崎県諫早市で行われ、ミゲルとみられる骨が発見された。18日には、本住山自證寺副住職、水主町教会司祭、島原教会牧師らが見守る中、遺骨が取り上げ作業が行われ、調査グループは発見された遺骨についての専門的な調査を進めることになる。

千々石ミゲルは、今の長崎県雲仙市に生まれ、1582年(天正10年)に、大村純忠ら3人のキリシタン大名の名代として派遣された4人の少年使節の一員としてヨーロッパを訪問。スペイン国王のフェリペ二世や、ローマ教皇とも謁見し、帰国後は、天草でイエズス会に入会した。その後ミゲルは、4人の使節の中でただ1人棄教し、キリスト教から離れたとされている。

しかし、2017年の前回調査で、ミゲルの妻と思われる遺骨が発見され、さらにガラス玉や板ガラスなどのキリシタン遺物が出土した。このことから、ミゲルの棄教の有無に注目が集まり、今回の発見でその真相が明らかになることが期待される。17年前にミゲルの墓石を発見し、当初からミゲルの棄教に疑問を投げかけてきた石造物研究家の大石一久さんに話を聞いた。大石さんは、調査グループで、調査統括を務めている。

───今回見つかった遺骨について教えてください。

発掘されたのは頭や腕、肋骨や足など成人1体の骨です。長さ約140センチ、幅40センチの木棺の中で、横を向くような形で足を折り曲げて葬られています。木棺の直葬(じきそう)で、非常に丁寧な作りになっています。考古学的には、木棺の形状からはキリシタンとは言えませんが、文献資料からここが潜伏キリシタンの墓地だったことがわかったいること、第1号墓からキリシタン聖具が出土していることなどから、キリシタンとして葬られた可能性が極めて高いということがわかりました。

また、この遺骨がミゲルかどうかを判明するには、まだ調査が必要です。とくにほぼ全身骨格が出土しましたので、性別や年齢がわかってくるはずですので、その結果をまって特定することになります。ただ、これまでの研究からは、今回発見された人骨はミゲル以外には考えられません。

なお、骨のDNA鑑定は骨の状態を見て実施するかどうかを決めたいと思っています。

作業前の墓所。(写真提供:千々石ミゲル墓所調査プロジェクト)

───ミゲルの棄教について何か新しい発見はありますか。

発掘場所は、潜伏キリシタンの墓地だったことははっきりしており、前回のミゲルの妻の発掘を踏まえても、ミゲルが棄教していないと言えます。今回、発見された木棺の形状からは、キリシタン的要素は見られませんが、遺骨を見ると、頭が西側、足が東側に置かれています。この東西というのはキリシタン的要素が強い。仏教での葬り方とは逆なんですね。今から研究が進んでいくと思いますが、私個人ではやはり棄教していなかったと思っています。

───あとは考古学的見地ですね。

それがプラスされれば、この墓所は天正遣欧少年使節の唯一の遺構になります。そして、千々石ミゲルがなぜイエズス会を脱会したのか、脱会後、キリスト教を捨てなかったことの背景に何があったのかの研究がさらに進むと思っています。

───ミゲルの脱会は、当時のイエズス会の宣教方法にあったという見方をされていますが。

1574~1606年の大村藩はキリシタン王国時代で、キリスト教だけが許される社会でした。神社、仏閣は壊され、僧侶はキリシタンに殺されると領域外に逃げて回っていました。キリシタン禁止令が出た後、大村藩の領主になった大名は、キリシタンに殺された僧侶の祟(たた)りを恐れ、大日堂を建てて霊を弔うなどしています。大村忠純の大村領と有馬晴信の有馬領は、全国でも極めて特殊な時代を経験した2領域で、強圧的なイエズス会を主体にした当時のキリスト教の実態が一番よく表れています。

発掘した墓所の航空写真。(写真提供:千々石ミゲル墓所調査プロジェクト)

───その中でミゲルは何を求めて脱会したのでしょうか。

一神教のキリスト教であっても、日本との文化との共存を求めたのがミゲルだと私は思っています。キリスト教の教えは素晴らしいのだけれど、宣教の仕方が間違っているとミゲルは考えていたのではないかと。1962年の第2バチカン公会議で、カトリック教会は自分たちの布教には誤りがあったことを認めていますが、私は、日本にキリスト教が入ってきた頃からすでにそういう軋轢があって、そこで非常に苦悩したのがミゲルだったと思うのです。

ミゲルのものとされる墓は、ドミニコ会系の潜伏キリシタンの集落にあります。それを考えると、キリストの教えを棄てて、イエズス会を脱会したのではなく、新たな信仰世界を求めたミゲルの姿が思い浮かびます。当時の強圧的な布教体制をとるイエズス会ではなくて、在地の文化と共存できるようなキリスト教を求めていのではないか。キリスト教の精神は素晴らしい、しかし布教、宣教が問題なんだ、そう考えていたのではないだろうかと。

───他との共存を求めたミゲルは非常に現代的に感じます。

ミゲルはイエズス会に入る時は、親のも猛反対を押し切って入った。ところが入ってみるといろいろな問題があり、ここはおかしいと考え、イエズス会を離れました。しかし、その一方で、キリストの教えを信じ、キリスト教がこの日本社会で息づくためにはどうしたらいいかと悩み抜いた人間ではないかと見ています。これが私のミゲルに対する欲張った考えです。しかし、彼の行動を追っていくとそう考えざるを得ないほど、ミゲルの人生は示唆的です。

大石一久さん

1952年平戸市生まれ。山口大学文理学部東洋史学科卒。県立高校教師として教壇に立ったあと、長崎県文化振興課、長崎歴史文化博物館に勤め、2014年退職。石造物研究家として数多くの研究成果をもつ。『千々石ミゲルの墓石発見―天正遣欧使節 (2005年、長崎文献社) 、地方・小出版流通センター (2012/7/1)『天正遣欧使節 千々石ミゲル―鬼の子と呼ばれた男』(2015年、長崎文献社)など著書多数。

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