細川忠興(望月歩)とガラシャ(芦田愛菜)は1578年、15歳同士で結婚した。しかし、その4年後、父の明智光秀(長谷川博己)が起こした「本能寺の変」のため、ガラシャは「逆臣の娘」として幽閉されて生きることを余儀なくされる。そんな中でキリスト教と出会い、21歳の時に洗礼を受けるのだ。
一方、夫の忠興は妻を束縛しながら、自分は何人もの側室を囲み、キリスト教を敵視してキリシタン侍女を迫害していた。それに耐えられなかったガラシャは離婚を宣教師に相談するが、『キリストにならいて』や聖書からの助言によって思いとどまり、以後、一心に信仰を深めていった。そういうガラシャの姿を見続けて忠興はどのように思っていたのだろうか。宣教師の報告を見てみよう。
この夫人(ガラシャ)は、その大いなる徳操と役割において日本では非常に名望があった。そして、そのような徳操や役割によって夫(忠興)は彼女をこよなく愛した。さらに彼女がキリシタンとなった当初は、夫は彼女に罪深い生活をさせていたし(忠興が側室を持っていることで離婚を考えていたこと)、彼女にとっては大いに苦労や苦痛の種であった。(ガラシャは)キリストの教義を受け入れたので、それらはすべてに対し大いなる忍耐と慎重さで振舞い、そのことで夫を感動させるようになった。したがって、夫を慰めるのみでなく、今ではもう、夫は彼女がキリシタンであることを非常に喜んで、伏見から大坂の市(まち)へ移り、彼女が習わしとしていたように祈禱に専念できるように祈禱室と祭壇の修復を彼自身が行なった。(「1599~1601年、日本諸国記」『16・7世紀イエズス会日本報告集』第I期第3巻、同朋舎、247~248ページ)
ガラシャのキリシタンとしての「徳操や役割によって夫(忠興)は彼女をこよなく愛した」というのは、その信仰が本物だったということだ。自分を被害者と思い込み、信仰という名の自己満足に逃避して、ますます夫婦関係をこじらせるのではなく、あの激情的な忠興が「彼女をこよなく愛した」というほど、ガラシャは夫に心から信頼されていた。
のみならず、ガラシャは「すべてに対し大いなる忍耐と慎重さで振舞い、そのことで夫を感動させるようになった」ので、彼女が一方的に「夫を慰めるのみでなく、今ではもう、夫は彼女がキリシタンであることを非常に喜んで」、ガラシャが「祈禱に専念できるように祈禱室と祭壇の修復を彼自身が行なった」というのだから、忠興もガラシャの信仰者としての生き方を見ていくうちにキリスト教への誤解も解けていったと思われる。
そのガラシャは1600年、細川家を守るために壮絶な最期を遂げた。忠興はガラシャの没後、どうなったのだろうか。
ドナ・ガラシアは皆キリシタンである一人の息子(次男の興秋)と二人の娘(長女の長と次女の多羅)を残した。そして彼女の夫(忠興)は、なお異教徒であるが、司祭たちやキリシタン宗団ときわめて親しく、我らの諸事に対して多大の熱意と愛を表明している。(同、248ページ、パーレン内は筆者注)
長岡(細川)越中(忠興)殿は異教徒の領主であるが、デウスの教えについては大いに好意を抱いており、またすでに自分の兄(弟の興元)、一人の息子(興秋)、二人の娘(長と多羅)ならびに彼の一族の幾人かの重臣(加賀山隼人など)がキリシタンであることから、我らの諸事にすこぶる愛着を持っている。(同、291ページ)
ガラシャの生前のことが詳しく綴(つづ)られているフロイス『日本史』では、忠興は「残酷で悪辣(あくらつ)な異教徒」、「極悪の異教徒」(2巻、18~19ページ)、「苛酷な異教徒」(12巻、61ページ)、「彼女の主人が彼女を迫害するのに用いる誘惑は、この上もなく強烈」(5巻、246ページ)と激しく糾弾されていたが、ここでは「デウスの教えについては大いに好意を抱いて」、「我らの諸事にすこぶる愛着を持っている」と、忠興のキリスト教への態度が大きく変わったことが前面に出ている。これも、ガラシャが十数年にわたって信仰の模範を示し、忠興を愛し続けた結果だろう。
ただし、忠興は最後までキリシタンになることはなかった。その理由は何だったのだろうか。
(忠興はキリスト教にたいへん好意を持っていたが、)それにも拘(かか)わらず改宗はしない。その理由は、我らの聖なる教えを遵守するについて感じる難しさである。だが、期待できる理由はある。我らの主なるデウスが、彼が(デウス)の聖なる教えに払う敬意と、(デウス)への奉仕(について諸事)を大いに援助することに対し、彼にその光を与えて酬(むく)い給うであろうから。(同、269ページ)
この国の領主、(細川)越中(忠興)殿は、日本の宗派の虚偽性と我らの聖なる教えの真実をたいそうよく知っており、そのためそれを讃(たた)えることを決してやめないが、しかし、神聖な洗礼を受ける決意をするには至らない。なぜなら──彼が言うところによれば第6戒(注、汝、姦淫するなかれ)を守る気持ちを自らのうちに感じない限りキリシタンになるべきではない、キリシタンでありながらキリシタンとして暮らさないのは恥ずかしいことだからである。彼がこう言うのは、彼はまだデウスの恩寵がいかに強大なものであるかを理解していないからで、そのためには(デウスの恩寵を)頼り利用することを望むべき(なのである)。(同5巻、99ページ)
確かに忠興は、ガラシャと結婚して程なく側室を持ち、その不誠実はガラシャが離婚を決意するほどだった。この宣教師の記事が書かれた時にはガラシャを失って数年が経ち、忠興も40歳過ぎになっていたが、まだまだ聖書の言葉を守れないというのだ。(22に続く)
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