焼香してほしいと頼まれたら? 上林順一郎 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 

Q.教会員のご遺族から焼香をするようお願いされました。牧師としてどう対応すべきでしょうか?(30代・牧師)

日本のキリスト教は、そろそろ「お焼香」の呪縛から解放されるべきです。先日も教会員から「夫の身内の葬儀でお焼香をしなかったところ、親族から非難され、それ以降ずっと冷たい目で見られています。でも、お焼香をするのは偶像礼拝になりますよね」と、質問されました。実はこのような悩みを持っているクリスチャンは驚くほど多いです。

牧師の中には「焼香は亡くなった霊魂への供養として行われます。私たちが絶対にしてはならないことです」とか、「キリスト者として臨むことを表すために、焼香の時は前に出て香は手に取らず、遺された人々に主の慰めを祈るべき」とか、お焼香を行うことに否定的な意見の人が多いようです。お焼香を「偶像礼拝だ」、「死者礼拝だ」と言われれば、クリスチャンは怖くて手が出せなくなるのでしょう。

しかし、当の仏教では「お焼香は基本的には、死体が臭いからそのにおいを線香で消すということです。後に、死者は香を食物にするからだという説明がつけられたので、死者という対象を拝むこと自体が間違っているのです」(ひろさちや)と主張する人もあります。事実、宗派によっていまは「お焼香」をしない寺院もあるそうです。

「この世に偶像の神などはなく、唯一の神以外にいかなる神もいない」(コリントの信徒への手紙一8章4節)という私たちの信仰からすれば、「お焼香」など、するもしないも自由だと、私は考えます。あるキリスト教式の葬儀で献花台の端に「香炉と香」が置いてあったのを見て感心したことがあります。献花でも「香」でもご自由に、ということなのでしょう。礼拝で「香」を使う教会もありますから、こういうやり方もありかなと思いました。

ご参考までに。『線と天――死と生、そして葬儀を考える』(日本バプテスト連盟宣教研究所発行)は、日本におけるキリスト教葬儀の意味とその実際を取り上げているとても有益な本です。これを読めば、あなたもきっと「呪縛」から自由になれますよ!

 かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

【既刊】『教会では聞けない「21世紀」信仰問答Ⅱ -悩める牧師編』 上林順一郎監修

関連記事

この記事もおすすめ