会堂建築めぐり意見が割れた 上林順一郎 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.会堂建築にあたって意見が分かれ、どちらの意見を採用しても、もう一方の信徒が不満を抱いてしまうような状況をどう打開すればよいでしょうか?(50代・牧師)

「イヌは人に付き、ネコは家に付く」と、言われます。イヌは飼い主になつき、ネコは飼い家になつく、ということでしょう。

教会でも同じようなことが言えそうです。「人(牧師)になつくイヌ派の信徒」、「家(教会)になつくネコ派の信徒」と、いう具合にです。「信徒をイヌ、ネコ呼ばわりするとは!」と、おしかりを受けそうですが、あくまで「たとえ」ということで……。

例えば、会堂建築問題が起こった場合、設計や予算などをめぐって教会員の間でいろいろな意見が出されます。「イヌ派の信徒」は「センセイのおっしゃるように」と、牧師の意見に従うことが多いのですが、「ネコ派の信徒」は「牧師の意見より教会の歴史や伝統が大切だ」と、教会の家風を重視することが多いのです。そこで主張が違い、牧師派と反牧師派とが生まれ、激しい対立が起こることにもなります。さらに「牧師でも教会の伝統でもなく、神のみこころこそ大切」と主張する「おお、神よ!」派、いや「オオカミ派」が出てくると、三つ巴、四つどもえの対立となり、教会は大混乱に陥ることになるのです。

会堂建築を経験した牧師は必ずと言ってよいほど、教会内での意見の違いや対立を経験しているはずです。それも意見の対立だけに終わらず、感情的な軋轢を生み、さらには信仰の対立となって、ついには教会が分裂することさえあるのです。誰もが教会を愛し、教会のことを思っているはずなのに、「あなたの家を思う熱情が私を食い尽くす」(ヨハネによる福音書2章17節)という悲しい事態が起こるのです。

どうすればよいのでしょうか。結局は、「自分たちの教会」ではなく、「キリストの教会」を建てるのだという思いを持つことしかないでしょう。教会ではどんなに意見の違いがあってもよいと思います。ただ、それを理由に教会から離れていく「サル派」にだけはならないでほしいものです。

教会版『鳥獣戯画』ということで、ご勘弁を。

 かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

【既刊】『教会では聞けない「21世紀」信仰問答Ⅱ -悩める牧師編』 上林順一郎監修

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