デビュー50周年を迎えたゴスペル・シンガーの本田路津子(ほんだ・るつこ)さん。名前は旧約聖書の「ルツ」から取られた。
大正生まれの両親は熱心なクリスチャンだった。戦争を体験し、つらい戦後の混乱期を生き抜いてきたが、その頃の話を子どもに語ることはほとんどなかった。
本田さんは福岡県大牟田市生まれ。家ではたびたび父親がレコード鑑賞会などを行い、本田さんは幼い頃から音楽に慣れ親しんでいたという。そうしたことから、本田さんは歌を歌うのが何よりも好きだった。
教会学校に通い、当たり前のように聖書を読んだり祈ったりしていた。小学校2年生のとき、父親の仕事の都合で新潟県の青梅町(現・糸魚川市)へ引っ越すことに。そこでは、父の同僚でもあるクリスチャン・ファミリーと家庭集会なども行っていたという。
東京・町田市にある桜美林高校へ進学し、単身上京して寮生活が始まった。その頃は童謡やオペラ、クラシックを好んで聞いていたが、何より本田さんを虜(とりこ)にしたのが、当時全盛だったフォークソングだった。
その後、桜美林大学文学部英文科へ進学。そんな本田さんに転機が訪れたのは大学4年生の時だ。ニッポン放送とテレビ東京が主催するハルミラ・フォーク・コンテストで、父が大好きだった米国のフォーク歌手ジョーン・バエズの「シルキー」を歌い、見事優勝。1970年、CBSソニーから「秋でもないのに」でプロ歌手としてデビューした。
「当時、学生フォーク出身の歌手はたくさんいました。芸能界に入ったという感覚はあまりなく、アマチュアの世界の続きのような環境の中で歌えたのは幸いでしたが、アーティストの才能の豊かさに圧倒された思いでした。私の場合、デビュー当初から今まで、本当に人に恵まれていたと感じています。神様がめぐり合わせてくださったんですね」
翌年には、大ヒット曲「ひとりの手」で紅白歌合戦に初出場。72年のNHK連続テレビ小説「藍より青く」の主題歌となった「耳をすましてごらん」で、2年連続の紅白歌合戦出場を果たした。
デビューから順風満帆な歌手人生だったように思えるが、「スケジュールがずっと詰まっていて、休む時間がありませんでした。芸能人というのは、自分の存在自体が商品。ずっと何かに振り回されているような気がしていました」と振り返る。
約5年間の歌手生活にピリオドを打ったとき、身も心も疲れ果てていたが、「やっぱり、この時に洗礼を受けよう」と思ったという。引退コンサートを終え、直後に日本基督教団・東中野教会で受洗。その後、クリスチャンの夫と結婚し、渡米した。
米国での生活はとても恵まれていた。行く先々で日本人教会の信徒との交流も楽しんだ。時には教会で歌を披露したこともあったという。
1988年、9年ぶりに帰国。当時、渋谷ライフセンター(いのちのことば社の直営書店)の常連客だった父が、立ち話程度に「娘が歌手だった」と話したことがきっかけでアルバムを作ることになり、歌手として活動をすることに。ブランクはあったが、日本に帰国して以来、九州を中心に日本全国の教会をコンサートで巡った。
「好きな聖句は、『わたしの目には、あなたは高価で尊い』(イザヤ43:4、新改訳)。こんな私が歌っていていいんだろうかと思う時もありますが、神様の目に私は尊いものなんだと思わされ、支えられてきました。今後もオファーをくださる方々に感謝しつつ歌い続けていきたいです」
来春4月17日には、本田路津子デビュー50周年記念コンサートをなかのZERO大ホール(東京都中野区)で開催する。いのちのことば社創立70周年特別企画で、最新アルバム「聖なる主~Boundless Grace~」(いのちのことば社ライフ・クリエイション)の発売を記念したものだ。