新翻訳聖書セミナーが6月24日、松山ひめぎんホール(愛媛県松山市)で開かれた。そこで、「聖書協会共同訳」についての講演を、翻訳者・編集委員である樋口進(ひぐち・すすむ)氏(夙川学院院長)が行った。その内容を連載でお届けする。
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3 「聖書協会共同訳」の方針
「聖書協会共同訳」の方針は、「新共同訳」の成果を生かしつつ、とりわけカトリックとプロテスタントが共同で翻訳するということを継承して、多くの教会で受け入れられるような、分かりやすく、より自然な美しい日本語の翻訳を目指すということです。
まずは、オランダのローレンス・デ・フリスの提唱した「スコポス理論」に基づくということを方針にしました。「スコポス」というのは、ギリシア語で「目的」「目標」「役割」という意味です。
そして、「聖書協会共同訳」は礼拝の朗読に使うということをスコポス(目的)にすることが決められました。そこで私たちは、礼拝の朗読にふさわしい訳を意識しつつ翻訳作業に携わりました。夏と春には修道院で1週間ほど合宿をして翻訳作業を行いましたが、毎朝礼拝を行い、また作業を始めるときはまず聖霊の導きを祈って始めました。
次に、「原文に忠実に、より自然な日本語に」という方針です。そこで、この翻訳事業では、最初から原語担当者と日本語担当者が共同で作業をしました(第1稿、第2稿、第3稿)。次に、数人の原語担当者、日本語担当者で、さらに訳文を検討する翻訳者委員会が行われました(第4稿)。次に、朗読チェックが行われ、朗読上問題がないかどうかを吟味しました(第5稿)。次に、神学や文学など、いろいろな専門家を加えて、さらに訳文を検討する編集委員会が行われました(第6稿)。したがって多くの場合、最終的な訳文は最初の訳文からかなり変化しています。
今度の翻訳で、今までになかった一つの特徴は、脚注をつけたということです。これは、古代訳などによって原文を読み替える場合や、語呂合わせなどの時の原語の発音を記す場合、また同じ原語にもいくつかの訳語が可能な場合などです。ただし、スペースの関係で最小限にしています。
次に、礼拝の朗読にふさわしく、聖書としての荘重さを出すということです。神に対しては敬語を使用します。たとえば、「主なる神は言われる」「神は地をご覧になった」「預言者に御手が臨んだ」などです。また、預言者が神の言葉を伝えるとき、しばしばその最後に(途中に入る場合もある)「ネウム・アドナイ」と記されます。これは「新共同訳」(「口語訳」も)では、「と主は言われる」と訳されましたが、ネウムというのは名詞です。そこで新翻訳では、「──主の仰せ──」と訳し、「これは神の言葉だ」という荘重さを出しました。
次に、不快語・差別語を避けるということです。神が人間に語るとき、「新共同訳」ではしばしば「お前」「お前たち」と訳されましたが、「これは現代においては不快だ」という意見があり、「あなた」「あなたがた」と表記しました。また、「はしため」は差別語ということで「仕え女(め)」にしました。
今までの分かりにくい語をより分かりやすい語に変えたものもあります。たとえば、「ナハラー」は従来「嗣業(しぎょう)」と訳されていましたが、日本語として一般的に定着しておらず、土地の場合は「相続地」、民の場合は「所有の民」などと分かりやすい訳語にしました。また、「ツァディーク」は「義人」「神に従う人」と訳されてきましたが、「正しき人」と分かりやすくしました。また、「全地」(コル・ハアーレツ)や「全家」(コル・ハバイト)は、「すべての地」「すべての家」と分かりやすく訳されました。
また、聖書学の最新の成果をできるだけ取り入れることにしました。聖書学は、社会史的、考古学的、文献学的、フェミニズム的に日々進歩し続けています。今回の訳には、その成果をできるだけ反映しました。特に動植物や宝石などの同定などです。(つづく)