聖書を読んでいますと、例えば目の見えない人がイエスによって見えるようになった話などがたくさん出てくるわけです。私がひんぱんに出す盲人バルティマイだけではないですよ。バルティマイはマルコによる福音書10章に登場します。バルティマイ物語の直後にイエスはエルサレムに到着しますので、マルコのなかでバルティマイストーリーは奇跡物語の最後を飾っています。例えばマルコによる福音書8章22節以下にも目の見えない人が出てきます。この人はあつかましいというより、周囲のお友だちが、この人をどうにかしてほしくて、イエスにお願いするわけですが。
このように、聖書の物語を読むと、あまりに奇跡が起きすぎで、つい昔の人は迷信深かったのですねえと読んでしまいがちになりますが、いやこれはあながち迷信的ではないですよという話をしたいと思います。
私は近眼です。メガネがないとほとんど何も見えません。加えてここ数年は老眼であり、近くも遠くも見えません。少なくとも若いころから近眼で、もしも自分がメガネのない時代でこんなに近眼だったらどうしようかと思います。おそらくほとんど何も見えないのではないでしょうか。
もう20年くらい前に見たテレビ番組だと思います。日本のメガネ屋さんで、ボランティアで、メガネのないような途上国で、メガネを作る活動をしているそうです。メガネ屋さんは、視力検査をしますよね。視力検査をしながら、テスト用のメガネに度を入れていかれる。あのメガネをかけただけで泣き出す方がおられるそうです。感激のあまり。見えるから。
マルコによる福音書8章でイエスが盲人の目につばをつけ、両手をその人の上に置いて、「何が見えるか」と尋ねると盲人は「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」と言います。この発言は、その人の感激の度合いを表しています。見えるのです! もう一度、イエスが両手をその目にあてると、よく見えてきて癒やされ、なんでもはっきり見えるようになったそうです。これはあたかも、メガネのない国に日本から来たメガネ屋さんのようではないか。そう思うとこれはあながち迷信ではないどころか、かなりリアルな話だということになります。
12年、出血の続いた女性の話(マルコによる福音書5章)の話を読むと、多くの医者に苦しめられたと書いてあります。今の医者と違って昔の医者は、診察室にいてカルテを書き、処方箋を書く人ではないでしょう。まじない師みたいな人とか、いろいろいたでしょう。イエスはおそらく当時「次々と病人や障害者をいやす超絶的な医者」というふうに認識されていたと考えられます。イエスがキリスト(救い主)だと思って読んでいるのは、現代の人はその先(十字架にかかって復活した)を知っているからですよね。
「人々は、わたし(イエス)のことを何者だと言っているか」「『洗礼者ヨハネだ』と言っています」などという会話も残っています。イエスはキリストだという認識は当時なかったと考えられます。盲人バルティマイも、だれかれ構わず声を上げていたのでしょう。
とにかく、聖書に頻出する奇跡物語は、あながち迷信的ではないというか、かなりリアルであるという話でした。