終戦から75年 キリスト教と戦争 日本基督教団 軍用機献納献金運動

「狂信的」と表現するのが正しいのか「敬虔(けいけん)」と表現するのが正しいのか…
戦局が悪化しつつあった終戦間近の1944年。日本基督教団は、「軍用機献納運動」として、全国の教会から献金を募った。その様子は、『第二篇日本基督教団史資料集 第二巻』(日本基督教団出版局)の中で詳しく語られているが、秋田県の秋田檜山(ひやま)教会に当時の献金領収報告が近年、見つかった。京葉中部教会山本光一牧師に話を聞いた。

軍用機献納運動は、「苛烈なる中南太平洋空の決戦場に一刻も早く一機でも多く飛行機を送りて第一線の要請に応えんとするは我等一億国民の決意に御座候」(日本基督教団史資料集P250)と全国の教会、伝道所に呼びかけ、献金を募ったというもの。同書によると、献金の総額は72万3972円35銭。しかし、秋田檜山教会で見つかった資料によると、総額95万2620円85銭にものぼる。「大きく隔たりがあるものの、なぜこの差が生まれたかなど、詳しことはわかっていない」と山本牧師はいう。わかっているのは、翼に「日本基督教団」と記した日本軍用機が4機、戦地の空を飛んでいたという事実だ。

日本基督教団が献納した九九式艦上爆撃機

報告書に添えられている「軍用機献納感激篇」によると、「この度の比島沖の大戦果を思ふにつけ我等教団の捧げし日本基督教団機もその中に参加して 猛威をふるっていゐてくれてゐることであらうと信じます」と全国の信徒が熱心に献金を捧げた様子を語っている。信徒が詠ったと思われる短歌には、「みをすてて御国をまもる ますらをに など飛行機をことかかすべき」として、捨て身で国を守ろうとする日本軍に飛行機が必要だとする心情を訴えている。

「戦時中は、さまざまな理由から礼拝出席者が激減したと聞いている。ただでさえ、食料不足で栄養失調などで人が亡くなっていった時代に、これだけの献金をどのように集めたのか」と山本牧師は語っている。

一方で、現代を生きるクリスチャンにとって理解しがたいのは「戦争に勝たなければならない」と必勝を祈る当時のクリスチャンと「平和をつくるものは幸いである」と聖書にあるキリスト教の相反する信仰が、共存していたということだ。

日本基督教団は1967年、「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔(ざんげ)し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります」と「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」の中で告白している。

「戦の勝利を祈ることと聖書の信仰、相反する原理の中で、当時の教会は相当苦悩したと思う。聖書を解き、信徒を導く牧師ももちろん葛藤していたのではないか。私だったらどうしていたか。軍用機のために必死に献金を募ったか・・・心情としては、『そんなことは絶対反対だ』と思うが、信徒たちと教会に迷惑をかけられないとの思いもある。当時の牧師と同じように苦悩するだろう」と山本牧師。

長崎に原爆を投下したB29の搭乗クルーのために祝福の祈りを捧げた従軍神父ジョージ・ザベルカは、長年、「原爆投下は正しいことだった」としていたが、終戦から40年近くが経った1984年、「イエスに機関銃を持たせたのは私だ」と深い懺悔をして、来日したのち「原爆投下は間違いだった」と告白している。

山本牧師は「私たちに、ジョージ・ザベルカのような深い懺悔の気持ちがあるか…もう一度考えたい。戦争は始まってしまったら、皆が口を塞(ふさ)がれてしまう。平和を祈りながら、勝利も祈る…そんなことで苦悩することが二度とないよう政府が戦争を起こしていない今、声をあげて、平和を祈ることが必要」と語った。

守田 早生里

守田 早生里

日本ナザレン教団会員。社会問題をキリスト教の観点から取材。フリーライター歴10年。趣味はライフストーリーを聞くこと、食べること、読書、ドライブ。

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