2024年12月3日、韓国で44年ぶりに宣布された非常戒厳令は、その後も韓国社会だけにとどまらず、東アジア全土に衝撃を与えた。「戒厳」という言葉は日本になじみがないものの、隣国では軍国主義の亡霊として再び頭をもたげている。本紙連載「この世界の片隅から」の執筆陣でもある洪伊杓氏に今回の騒動の歴史的な背景とともに日本、そしてキリスト教との関連性について寄稿してもらった。
日韓国交正常化60年に記憶すべきこと
尹錫悦大統領の試みは市民と国会議員の勇気のある抵抗と迅速な決断、良心的な軍人・警察の消極的な任務遂行と躊躇などによって過去の悲劇を繰り返さずに6時間で解除に至るという歴史上最も短い戒厳として記録された。ただ、依然としてその衝撃と混乱は進行中である。
尹錫悦は「一民主義」という全体主義と反共主義に基づいた独裁理念(李承晩政権)を再現し、「破廉恥な従北・反国家勢力を一挙に撲滅し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布します」と発言した。時代錯誤と狂気の極みである。このような不幸な歴史の反復は、日本帝国主義と軍国主義の影が常に共に目撃される。
最近の報道によると、戒厳の要件である「戦時あるいは事変」を人為的に発生させるために、金容鉉(キム・ヨンヒョン)国防部長官が金明洙(キム・ミョンス)合同参謀本部議長(合参議長)に北朝鮮側にミサイル発射(原点打撃)を指示したが、これを拒否したことが明らかになっている。金明洙合参議長は海軍出身だが、日本も帝国時期に陸軍と海軍の緊張および対立関係があったように、海軍出身の合同参謀議長は戒厳のための準備作業に否定的だった。その結果、尹錫悦と金容鉉は戒厳法を破ってまで陸軍参謀総長朴安洙(パク・アンス)を戒厳司令官に指名したのだ。韓国現代史の戒厳とクーデターはすべて陸軍によって行われた。その陸軍のルーツは結局、大日本帝国陸軍と関東軍である。
1948年、初代陸軍参謀総長の李應俊(イ・ウンジュン)をはじめ第21代李世鎬(イ・セホ)まで、日本陸軍士官学校、満州軍官学校、日本軍および関東軍将校出身者が陸軍の最高地位を掌握してきた。彼らは、朝鮮戦争を機に反共主義を掲げ、自分たちの親日行為を洗い流した。韓国現代史の悲劇的な戒厳と虐殺の歴史は、いずれも親日陸軍軍閥勢力の罪悪だった。
このように不幸な韓国現代史の背景には、日本帝国の植民地支配と彼らが残した軍国主義および全体主義という変種ウイルスが存在する。日本が廃棄した戒厳法だけでなく治安維持法も「国家保安法」(1948年)という名で依然として思想の自由を抑圧しており、韓国は冷戦と分断という十字架を日本帝国の代わりに80年近く背負い、苦難の道を歩んでいる。
韓国戒厳の歴史の中に必ず登場するもう一つの重要な勢力はキリスト教、特にプロテスタント教会である。北朝鮮の共産主義勢力とソ連によって迫害を受けて南の韓国に降った多数のプロテスタント教会は、共産主義に対する敵愾心に満ち、反共主義をむしろキリスト教信仰より優位に置くことになる。
戒厳発表直後、あるユーチューバーが命がけで国会に進入するため隙間を探す配信動画を見ている時、国会の隣に位置する汝矣島純福音教会が背後に映し出された。国会に接近する軍用車両を阻むため一人で立ちはだかる市民の後ろにも汝矣島純福音教会が見えた。国が一瞬にして暗黒の世界に落ちたが、大型教会のネオンサインとしての十字架は華やかだった。同時に「処断する」(即時処刑可能)という言葉が二度も登場する恐ろしい布告令と、朴安洙陸軍参謀総長が戒厳司令官になったという事実が耳に入ってきた。「まさか」との思いで彼について調べてみると、やはり重く暗い戒厳の歴史には韓国プロテスタント教会の影がある。朴安洙は、国会の隣にある汝矣島純福音教会の按手執事だったのだ。
彼が韓国キリスト軍人連合会の会長資格で汝矣島純福音教会のアジアキリスト教放送に送った映像では、「信仰戦力化」という文言が2回使われている。「信仰戦力化」とは、朴正煕(パク・チョンヒ)と蜜月関係にあった保守キリスト教界を代表する金俊坤牧師が「全軍信者化運動」と共に「信仰戦力化運動」を提案して1972年に生まれた。当時、統一協会が「国際勝共連合」(日本には1968年に進出)という名で軍隊内に浸透していくことに対し、キリスト教界が講じた策であった。「国防部訓令」第1879号(2016年)は「信仰戦力化」という言葉をこのように定義している。
第2条(定義)「12.『信仰戦力化』とは、将兵が宗教活動を通じて高揚した信仰心によって与えられた任務を果たす無形の戦闘力強化をいう」(軍宗業務に関する訓令/施行2016.2.15)
個々人の「信仰」を「戦力化」して戦闘力を強化するために使用するというこのような発想も、歴史的に大日本帝国の残滓と言える。朝鮮総督府は満州事変以後、朝鮮の植民地民をより効果的に戦争に動員するために仏教、儒教、キリスト教、民間信仰など多様な宗教的信仰心までも天皇に対する忠誠心に利用しようと「心田開発運動」という政策を実施する。人の宗教的内面までも軍事戦力に転換させ、集団化して利用しようとした軍国主義時代の妄想を再び朴正煕が軍隊内で復活したのである。
市民に銃口を向けた反乱軍の首謀者である戒厳軍司令官を育てたのは、他でもない韓国プロテスタント教会だったことが改めて確認された。李ヨンフン牧師(汝矣島純福音教会)、金森煥牧師(明星教会)など、プロテスタントの代表的な大型教会の牧師らは、その罪を告白し、国民の前にひざまずくべきではないだろうか。
1965年に締結された日韓国交正常化から60周年を迎えた今年。岸田文雄政権と尹政権は、この年をいわゆる「韓米日」軍事同盟体制を強固にする契機にしようと多様な側面から「ビルドアップ」してきた。関東大震災から100年を迎えた2023年には、戒厳の下で行われた朝鮮人6千人あまりの虐殺に対する両国政府レベルのいかなる追悼や記念事業もなかった。朝鮮人強制労働の歴史を除去した佐渡金山のユネスコ文化遺産指定に、尹政府は沈黙して協力した。韓米日同盟体制の構築に邪魔になる不幸な過去の歴史の問題が、60年前の屈辱的な日韓会談の時のように徹底的に無視されたこの数年間だった。
韓国では「日韓歌王伝」というテレビ番組が企画され、解放後初めて地上波チャンネルで日本人歌手たちが日本語で日本の歌を歌った。就任以後、訪日し「先進国らしくきれいだということだ。日本の方々は正直で、……とても美しい記憶として残っている」(読売新聞、2023年3月14日インタビュー)と絶賛することで、日本人の心をつかんだ尹錫悦という人間の実体が全世界の人の前に如実にあらわれた。それは、自分の権力維持のために自国民に躊躇なく銃口を向ける野蛮な暴君の姿である。しかしそれは、日本とアメリカの前では徹底的に小さくなり、ひざまずく卑屈な姿でもあった。
今回、12月に予定されていた日韓国防相会談も無期限延期となり、1月に予定されていた石破茂首相の訪韓日程も見送られた。日本で歓迎されていた旧日本陸士出身の朴正煕は戒厳下に部下の銃に撃たれて死亡し、その娘は弾劾されて監獄に行った。大阪で生まれ、歓迎された日本名「李明博(あきひろ)」も結局、不正腐敗で刑務所に入った。日本に絶えず色目を使っていた尹錫悦は、内乱の首謀者となり、まもなく監獄に行く運命である。このような戒厳の暗雲が韓国だけに垂れ下がるとは限らない。
今回の内乱の主犯である金龍顕国防部長官は、常にアドルフ・ヒトラーが書いた本『我が闘争』を愛読していたという証言が報じられた。国民を騙して行政府はもちろん、立法と司法まで掌握して総統になったヒトラーをロールモデルにした妄想家が果たして韓国にのみ存在するのか? 麻生太郎元首相は2013年7月29日、「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べ、ナチス・ヒトラーの親衛クーデターに憧れを抱くような発言をし、憲法の改正を主張したことがある。安倍晋三政権の時から旧治安維持法と類似した「特定秘密保護法」(2013年)と「共謀罪関連法」(2017年)を強行処理し、旧戒厳法と類似した「緊急事態」条項の憲法導入議論(2024年)も続いている。日本も尹錫悦のような狂った指導者により過去へ退行するなら、どんなことが起こるか想像し難い。
日韓国交正常化60周年を控えた今、この瞬間、大日本帝国が種をまき、依然として威勢を振るう戒厳ウイルス、戒厳亡霊の狂った踊りを見ながら、果たして日韓関係は同等で成熟した関係なのか問いたい。1961年クーデターと戒厳令で民主政府の政権を簒奪(さんだつ)した陸軍少将朴正煕は、4年後の1965年の日韓会談の時も市民の激しい反対とデモを鎮圧するために戒厳を宣布し、学校に軍隊を駐屯させた。2025年は、そのように国民の口にくつわを挟み軍靴で踏みにじった戒厳令の上で締結された「日韓国交正常化60周年」を反省し、記憶する年にならなければならないだろう。
尹錫悦大統領の弾劾訴追議決が行われた12月8日午後、韓国基督教教会協議会(NCCK)前の広場では、韓国のキリスト教徒が集まり、「時局祈祷会」を開いた。「神様の命令だ! 尹錫悦は退陣せよ! 内乱首魁(首謀者)尹錫悦を今すぐ拘束せよ!」との横断幕の前で、韓国基督教長老会香隣教会の韓文悳(ハン・ムンドク)牧師は次のように祈った。
「バアルの預言者たちを皆捕まえて、責め立てるまでは、終わりません。さあ、出かけましょう。あの神様の広場へ! イゼベルとアハブがこれ以上狂ったことができないように、さあ戦いに出かけましょう。正義の広場へ! 出ていってバアルの預言者たちを皆退けましょう。私たちの社会を蝕み、私たちの良心を破壊する彼らに対抗して、私たち皆で精一杯戦おう。そして、私たち皆が血で築いてきたこの民主主義の歴史を、皆で続けていきましょう」
12月6日に日本キリスト教協議会(NCCJ)は「民主主義と平和、正義の実現を求める韓国キリスト教エキュメニカル共同体へのさらなる連帯表明」を発表した。1970~80年代の軍事独裁時代に弾圧を受けた韓国のキリスト者を応援してくれたように、今も日本のキリスト者たちの関心と祈りが必要な非常時と言わざるを得ない。
ほん・いぴょ 1976年韓国江原道生まれ。延世大学大学院修了(神学博士)、京都大学大学院修了(文学博士)。基督教大韓監理会(KMC)牧師。2009年宣教師として渡日し、日本基督教団丹後宮津教会主任牧師などを経て、山梨英和大学の宗教主任を務めた。専門は日韓キリスト教史。