2024年「日本福音功労賞」顕彰式(主催:日本福音振興会)が11月5日、ヤマザキ製パン総合クリエイションセンター(千葉県市川市)で開催され、飯島紀子(日本ホーリネス教団池の上キリスト教会、教会員)、黒田禎一郎(北浜インターナショナル・バイブル・チャーチ牧師)、正野隆士(日本イエス・キリスト教団岡南教会、教会員)の3氏が顕彰された。会場には関係者46人が参列し、3氏の功績に敬意を示した。
日本福音功労賞は、「日本の福音宣教に長年にわたり貢献したこと」「日本の教会に教派を超えて貢献したこと」「日本の福音宣教の専門分野で貢献したこと」「役員全員の一致により推薦できること」の選考基準に従って決定される。1990年に設置された日本福音振興会によって顕彰式が執り行われ、今年で28回目となる。
顕彰式は、竿代照夫氏(イムマヌエル綜合伝道団牧師)の司式により礼拝形式で行われた。讃美、祈祷に続き、日本福音振興会会長の中島氏によって顕彰者の経歴や受賞理由が述べられた後、各人に賞状や花束が贈られた。授与された後には顕彰者一人ひとりが挨拶を行った。
最初にあいさつに立った飯島氏は、「『いと小さきものにしたのは私にしたのです』、また『この女はできるだけのことをしたのです』とイエス様がおっしゃったように、その時その時にできるわずかなことをやらせていただいてきたのだと思います」と、これまでの信仰の歩みと教会における数々の奉仕を振り返った。そして「このような拙(つたな)い者が、日本福音功労者賞をいただいたことを心から感謝申し上げます」と感謝の言葉を伝えた。
黒田氏はこの日、伝道巡回中により欠席のため手紙の代読が行われた。手紙には、次のような感謝の言葉が綴(つづら)れていた。
「これまで私は、ただ神がしかれた道を歩んできたにすぎません。しかしながら、どれだけ主に忠実にお仕えしたかというと恥ずかしいものです。それでも神はこのような足りない者を用いて、私の生涯において尊い働きをさせてくださった。もし私の名が日本福音功労賞に残るならば、それは主がなされた働きでしかありません。主に感謝申し上げます」
正野氏は、信仰のターニングポイントとなった御言葉がヨシュア記1章9節であったこと、事業の中で苦境に陥った時もコリント人への手紙13章13節に従い乗り切ったことを明かし、「神の御言葉は本当に生きてはたらくことをこれまで経験してきました」と力を込めた。そして、「ビジネスマンの聖書教室は自分の使命だと思っています。ビジネスをとおして主に出会うことをやらせていただいた、このことがこういう形になりました。ただただ神に感謝です」と受賞の喜びを語った。
飯島紀子(いいじま・のりこ)氏
1941年、東京都江戸川区生まれ。1974年に池の上キリスト教会にて受洗。1994年開催のビリーグラハム東京大会では副会長として奉仕する。池の上キリスト教会の三鷹移転においてはパイプオルガン導入に力を注ぎ、夫である飯島延浩氏がはじめた実践的バイブルスタディの司会も務めてきた。長年にわたって国際NGOワールド・ビジョン・ジャパンに協力し、複数のチャイルドスポンサーの支援に当たっている。2003年以降、飯島興産代表取締役社長。トーワ物産取締役、トーワパック取締役、トーワ保険センター監査役などを務め、キリスト教界のみならず広く社会的責任を果たしてきた。
黒田禎一郎(くろだ・ていいちろう)氏
1946年、台湾台北市生まれ。1960年、米国人ギフォード・ベッコン宣教師により救いに導かれた。70年にドイツに留学し、76年ヨーロッパ初の聖礼典を行う日本語教会の初代牧師に就任。73年より、共産圏において宣教伝道に従事。81年帰国。海外宣教団体「ミッション・宣教の声」を設立し、旧ソ連や旧東欧諸国のキリスト教会と信者の実態を伝え、海外邦人宣教のはたらきを開始した。82年、「堺インターナショナル・バイブル・チャーチ」、98年、「北浜インターナショナル・バイブル・チャーチ」を創立。日本のバブル経済崩壊後のビジネス社会で「ビジネス・セミナー」開き、現在に至るまでビジネスマン伝道を続けている。
正野隆士(しょうの・たかし)氏
1941年福岡県八幡(現北九州市八幡東区)生まれ。61年、八幡前田教会にて受洗。河合楽器に転職後、東京の金町教会に転会。岡山に転任後、日本イエス・キリスト教団岡南教会に転会。ミサワホーム中国(株)代表取締役社長・会長・特別顧問。岡山大学発ベンチャーそなえ(株)代表取締役社長。日本YMCA同盟会長、日本国際飢餓対策機構副理事長など。長年にわたり教会と教団の働きに貢献し、岡山市においてキリスト者として証を立てられた。飢餓対策ならびに高齢者対策に力を注ぐ一方で、岡山、倉敷、福山、広島などで聖書教室を主宰し、これまで多くのビジネスマンを信仰に導びく。