反ユダヤ主義でもイスラモフォビアでもなく 山森みか 【宗教リテラシー向上委員会】

ハマスとイスラエルの戦争が始まってから半年が経った。もはや中東における単なる地域紛争の域を超え、これ以上のエスカレーションを避けるため、世界中が各方面にさまざまな圧力をかけざるをえない事態となっている。それとともに、国だけでなく個人に対しても「どちら側に立つのか」を鮮明にしなければならないような雰囲気が醸成されてきた。その際、政治的な立場からの意見表明と、民族や宗教的属性についての批判が意図的あるいは無意識的に混同されることがあり、それがまた、より一層の混乱を招く原因となっている。

「イスラエル政府の方針に対する批判と、反ユダヤ主義は別の話だ」ということがよく言われる。それはまったくその通りであり、異論の余地はない。しかし、実際には必ずしも厳密な区別が為されているわけではなく、イスラエル政府に対する抗議活動の中で「ユダヤ人」という属性が暴力的言動が向けられる対象として用いられる場合がある。イスラエルが「ユダヤ国家」という立場を取っているため、その混同には必ずしも理由がないわけではないとも言えるが、それは新たな不幸を生み出している。その一方で、現在のハマスなどの過激なイスラム組織を一般のイスラム教徒と同一視し、イスラム教徒全般に対する排外的な言動に結びつける傾向が高まっていることも懸念される。民族や宗教にかかわらず、大多数の人は平穏な生活を望んでいるという事実を忘れるべきではない。

人間は自分が理解できる立場や属性の人にはコミットしやすいが、そうでない立場の人にはなかなか共感できない。それはいたしかたないことなのだが、誰であれ自分が生まれ育つ場所を選択できるわけではないし、苦しんでいる人はそれぞれ固有の苦しみを抱えている。その人の属性によって、その人固有の苦しみの多寡を外部から判断していいものだ
ろうか。また自分の宗教的信念を、現実に存在する政治的共同体に投影し、そこに何らかの理想を見出す態度にも慎重であるべきではないか。

ここにきて思い出されるのは、エルサレムにあるYMCAの入口に掲げられている、アラビア語、英語、ヘブライ語の三つの言語で書かれた碑文=写真=である。言語によって微妙に表現が異なるが、「ここは平和が提供される場所:ここでは政治的、宗教的敵対が忘れられ、民族を超えた結びつきが育成、推進される」という趣旨である。20世紀初頭に設立されたこのYMCAの建物はキング・デイビッド・ホテルの向かいにあり、この地がくぐり抜けてきた激動の歴史を見てきた。高くそびえる鐘楼(非公開だが宿泊客は許可を得て上れる)からの眺望はすばらしい。美しい庭園、スポーツセンター、ホテル、レストランやホールが併設されており、クリスマスには大きなツリーが飾られる。マネージャーはイスラエル国籍のアラブ人で、民族や宗教を超えたさまざまな活動を精力的に行っている。

 

これまでの歴史において、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は複雑な関係をもってきた。日本におけるキリスト教の共同体は、現在の社会的問題に対する関心を持ち続けなければならないという点については、その通りだと思う。しかしその一方で、そこは誰もが政治的立場を離れて平安が得られるような場所であり続けてほしいと願っている。

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

関連記事

この記事もおすすめ