型にはまった決まり文句や小手先の技術に気をつけなさい。それらは霊的生活に消費者主義的なアプローチを導入しようと誘惑してくる。実にたやすく「霊性=スピリチュアリティー」は「カフェテリア」になってしまう。自分が欲しいもの、食べたいものを選びまわる場所になってしまう。このような消費者的なメンタリティーは痛ましい程に知れわたっている。これと闘うために可能な限り努力をしなければならない。わたしたちはまず、「アスケーシス(自己修練)」について確認しなければいけない。「アスケーシス(自己修練)」とは自由自在に使いこなせる「小手先の霊的技術」ではない。「アスケーシス(自己修練)」とは、むしろ「自分の能力がなくなる、あるいは無に等しくなるこを骨身で感じる」ことなのだ。そして「神の御心がわたしたちの内に形作られるように」と御心に身を委ねることなのである。
一行(いっこう)が道を進んで行くと、ある人がイエスに対して尋ねた。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」。イエスはそっけなく言った。「あなたは不自由な生活をしたいのかね? わたしたちは最高の宿屋に滞在しているのではないことを知っているのかね。」
―― ルカによる福音書9章57~58節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。