Q.献金をささげる際に、「み国のわざ」「主のご用のため」と祈っていますが、結局は牧師の謝儀や教会の運営費に充てられるわけですよね?(40代・男性)
確かにあなたが疑問を持たれるように、実際の献金の用い方と祈りの言葉に違いを感じますね。
ただこれは、ごまかしや偽りの類ではなく、露骨でない言い方で、究極の目的を表現しているのだと思います。教会での献金は、どんな名目であれ神さまへの献金ですが、実際には牧師の生活を支えるために、また教会の実際的な働きや管理などのためにも多くが用いられます。
献金や献品が、すでに創世記の時代から実施されてきたことはご承知の通りです。つまり献金や献品が、神に対する私たちの当然の義務として位置づけられています。モーセ以降には、神さまに全部(全焼として)献げることだけでなく、神に仕える祭司やレビ人の生活のためにも用いられました。これ以後、旧約でも新約でも、神さまへの献げものは実際の礼拝の働き・伝道活動のために用いられています。
しかし、「み国のわざ」「主のご用のため」と表現するのは、献金・献品が究極的には神への献げものであることを表すことにあります。もし誰々先生の生活ためとか、教会の具体的な何かの働きや維持管理のためとなれば、そのことに賛成・反対だからとか、多い・少ないとの考えが入ってきて、とても人間的で打算的な献げものに変質しやすくなります。
つまり、献金が何かの団体への支援や慈善事業のような意味に近くなり、神のみ業への感謝や献身の表明としての責務として理解されなくなります。そして、献金は神さまにお返しするものではなく、「必要があれば献げます」との思いが強くなります。
ただ質問の表現は、誤解や違和感を持たれる可能性は十分ありますので、時々教会において献金の意味やその用い方について、説明しておくことは必要でしょう。そうでないと、単なるきれいごと、抽象的な言葉になってしまうでしょう。献金はまさに、主が喜んでくださるために用いてこそ生きた用い方になり、そこにみ業が成るからです。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
かつもと・まさみ 1950年熊本県生まれ。聖契神学校卒業後、立正大学仏教学部(日蓮宗)を卒業。あわせて僧階課程を修了。その後、仏教大学で仏教学(浄土宗)を専攻。神道や民俗宗教の学びの必要を覚えて、神道宗教学会に加入。郷里熊本で牧会の後、1990年から千葉県流山市で開拓伝道を開始した。後に日本聖契キリスト教団に加入し、聖契神学校講師(比較宗教·日本教会史)を担当。著書に『日本人の生活習慣とキリスト教』『日本の宗教行事にどう対応するか』(いずれもいのちのことば社)など。