わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低いこのはしためにも目を留めてくださったからです。
ルカ1章47〜55節(参照箇所同書1:46〜56)
マニフィカトとしてよく知られたマリアの賛歌です。マリアは、「身分の低いこのはしためにも・・・」と言います。一人の村の娘としてのマリアがいたのです。そのマリアに神は「目を留めてくださった」のでした。さりげない告白のようであります。しかしながら、ここには思いがけない恵みを発見した者の正直な告白があります。恵みは数えるものだと言われますが、過去をふり返ってみなければ分かりません。わたしたちには、恵みを受ける資格も条件もあらかじめ持ち合わせていないのです。わたしの人生にただ神が働いてくださった事実があるのみです。わたしに働いてくださった神は、わたしが理解や納得するように働いてくださるとは限りません。よくよく人生をふり返ってみると、その歩みの処々方々に思いを越えた神の働きを見るのです。それこそ恵みの事実がそこにあるとしか言えません。
マリアは、わが身に起こった神の働きの事実をそのまま、人々に伝えたのでした。彼女がいかに神を信じたかではなく、起こった事実を語っているのです。それこそ生の信仰告白ということができましょう。