2月28日「どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」

友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか。(マタイによる福音書22章12節)

主イエスは、使者たちを遣わして「食事の用意ができました。さあ、婚宴においでください」と人々を招いた王のたとえによって、「天の国」について語った。王なる神はすべての人間に対して、「天の国の用意ができた。さあ、おいでなさい」と招いている。招きに応えた者は、王なる神との交わりという永遠の喜びを経験する。

ところが、人々は王の招きを無視した。この世の仕事や生活に満足していたからである。また、王の使者たちを殺す者もいた。自分たちの生き方を干渉されたと思ったからである。王は拒絶した人々に対して怒るが、人々を婚宴に招くことを止めない。使者たちに、町に出て行って善人悪人の区別なく、見かけた者はだれでも連れてくるようにと命じた。王の熱意を受けた使者たちは、人々を婚宴の場所に連れてきた。私たちが「天の国」に招かれ、その喜びにあずかったのは、先輩のキリスト者たちの熱心な伝道があったからである。

今日の聖句は、婚宴に招かれて来たのに、礼服を着ていない者に対する王の問いかけである。当時の慣例は、招いた王が客のために礼服を用意したという。王が用意した礼服を着ないで入り、しかも、王の問いかけにも答えなかった人は、外の暗闇にほうりだされた。「礼服」とは何か。それは神が与える喜びの晴れ着である。主イエスは天の国に招き入れられた者が、神の与える喜びの晴れ着で装うことを求める。わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる」(イザヤ61・10)。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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