なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。
詩編2編1節(参考箇所詩編2編1〜12節)
この世に主権を持つ真の王は、「主の油注がれた方」(2節)、すなわちメシアであって、この地上の王ではないのだといっているのです。しかし人はメシアを否定しようとします。人間の主権を樹立したいからです。
そのため世は騒然となり、むなしく大声をあげるのです。新約の時代には、ピラトの前での群衆の叫びのように、あるいは十字架上のイエスを罵る兵士たちはその例を見ます。
人々は神による主権が定められようとすると騒ぎ立てます。そうしないと自分たちの立場があやうくなると思ってしまうのです。その騒ぎは今も変りません。人は神に関することを取り上げて、それを批判の的にし、否定するときは、いつでも表情を固くして声高に騒ぎます。ルターは「神の福音が宣べ伝えられると世の中は騒然となる」と言います。騒ぎ立てねばならないほどに危機を感じるということでもあります。「国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか」と詩編の作者が言うのは、神がメシアをこの世界に送ってご自分の主権を立てられると、人間の主権が脅かされるとの危機感の表れでもあるのです。
逆に言えば、人間は騒がざるを得ないほどに神の働きかけの方が強い証拠でもあります。