ドイツの彫刻家エルンスト・バルラハのファンであった友人が3月に亡くなりました。彼は、バルラハの作品の絵葉書を毎月のように送ってくれていました。その絵葉書が、我が家の居間にミニ美術館のように飾られています。
バルラハはキリスト者でした。「モーセ」など聖書を題材にした作品も多く、「再会」と題する、復活の主が懐疑の人トマスを温かく抱きかかえている作品はよく知られていますね。
バルラハは晩年、ヒトラー政権から弾圧され、その作品は教会や美術館などからも没収されて、すべてを失いました。バルラハは、残された人生を失意のうちに過ごしたのです。
バルラハの最後の作品は「笑う老女」です。高齢の女性は手を膝にして座り、肩をすくめて笑いこけて、今にも後ろに笑い倒れそう。この作品のテーマは、旧約聖書の詩編2編4節の「天にいます方は笑う。/わが主は彼らを嘲る」のみ言葉に拠っていると言います。バルラハは、ナチの最盛期、心身共に衰弱してはいましたが、ナチをお腹の底で笑ったのですね(小塩節著『バルラハ』日本キリスト教団出版局参照)。
「笑い」と言えば、宮田光雄著『キリスト教と笑い』(岩波書店)に、中世末期、イースター礼拝において、教会員は主イエスの復活のメッセージに一斉に「高笑い」して応えた、と紹介されています。
数年前、月刊の「信徒の友」誌に「祈り」を寄稿しました。4月号の祈りに、「イースターの礼拝において、一同で高笑いする教会があった、と言います」と書きました。すると、編集者から、「高笑い」というのはどうでしょうか、と訂正を求められました。私は、中世の教会の人たちが、罪と死に勝利した主の復活を素朴に「高笑い」して喜んだことを尊重したい、と言って譲りませんでした――そんな思い出があります。
ロシアのウクライナ侵略を憂う朝日歌壇の一首「寒かろう 恐ろしかろう 泣きたかろう 国境めざす 少年一人」を忘れられません。最近心沈むこと多く、笑うこと少ない。この現実に抗して、バルラハの「笑う老女」に倣い、「天にいます方は笑う。/わが主は彼らを嘲る」のみ言葉に身を寄せて、主の復活を祝い笑ってよいのではないか。憂いを吹き飛ばすように笑ってよいのではないか――イースターを迎えて、そう自らに言い聞かせています。
「今泣いている人々は、幸いである/あなたがたは笑うようになる」(ルカによる福音書6章21節)
わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。