一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
ルカ24章30-31節(参考箇所同書24章28-35節)
復活の主は、弟子たちと共に最後の晩餐のときと同じように食卓を囲まれました。パンを裂いてお渡しになったとルカは記しています。弟子たちは「パンを裂いてくださったときに、イエスだと分かった」(三十五節)とあります。裂かれたパンを通して、主の臨在を知るのです。
十字架の前夜、主イエスは、パンを取って、「これはわたしの体である」、またぶどう酒の杯を取って「これはわたしの血である」と言われました。今、弟子たちは、死を遂げられた主が復活されて、この席においでになることを、再び裂かれたパンによって知らされているのです。
ここには聖餐式の重要な意味が明らかにされています。主の復活を記念して、わたしたちは週の初めの日である日曜日を主の日として礼拝を守ります。主の日の聖餐式は、それを守る度ごとに復活の主と出会っているのです。そしてパンとぶどう酒を主の体と血としていただくことで、命をつないでいることを忘れてはならないでしょう。