2月25日「見よ、お前の王が、おいでになる」

見よ、お前の王がお前のところにおいでになる。柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。(マタイによる福音書21章5節)

日本国憲法は政教分離と信教の自由を謳(うた)い、国家が人の心を支配することを禁じている。では、私たちの心を支配する王はだれか。神の御子イエスこそ私たちの心を支配し、義に導く王である。今日の聖句のように、主イエスは預言の実現者として、ろばに乗ってエルサレムに入城した。人々は上着と棕櫚(しゅろ)の葉を道に敷き、「ホサナ」と歓呼して、主イエスを王として迎えた。しかし、その週の金曜日、主イエスはローマの総督ピラトによって十字架刑に処された。主イエスは王なのか。主は戦争に勝ち軍馬に乗って凱旋(がいせん)する王ではなく、人間を罪の支配から解放し、神の支配を打ちたてる王である。権力によって支配する王ではなく、ろばのように、人間の重い罪を背負う柔和な王である。

エルサレムに入城した主イエスは、そこであらわになる人間の罪を一身に受けて、苦しみに耐えながら十字架の道を歩まれた。私たちは罪に対する神の怒りと悲しみを知らない。それをご存じである方が私たちの罪をすべて負って十字架にかかり、私たちに代わって罪の裁きを引き受けてくださったのである。そして、その死と復活によって、私たちの罪を完全に贖(あがな)ってくださった。それゆえに、私たちは今や、主による贖いの恵みにあずかって、「はばかることなく」神の御座に近づくことができる。神が義と愛によって支配する神の国に生きる者となる。この神の国は、柔和な王である主イエスが支配する国である。ここには、神の愛によって守られる平和があり、私たちが他者に支配されない人間となる道しるべがある。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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