11月1日「イエスの言われる神殿とは」

イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。(ヨハネによる福音書2章21節)

主イエスは「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(16節)と言って、利益追求と儀式宗教に堕落していたエルサレム神殿に怒りの行動を起こした 。これを見て抗議するユダヤ人たちに、主イエスは「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(19節)と言った。この時、だれも主の言葉を理解できなかったが、主の死と復活の後に、弟子たちは今日の聖句のように悟った。

「霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。……父はこのように礼拝する者を求めておられる」(4・23) と言う主イエスは、この父の意志を実現するために、世に来た。 しかし、人々は主イエスを捕えて 十字架につけ、その体を裂いて殺した。父なる神は主イエスを死から復活させ、主の体を新しい神殿として建てた。利益追求の道具に堕落した神殿に代わる、新しい神殿である。人はキリストの体である神殿を通って、神にお会いし、罪を赦(ゆる)されて、 霊と真理をもって神を礼拝する者となる。

宗教は本来、人間の罪と死の問題を問う。罪と死を問うことによって、 生きる意味に答えるのである。しかし、人は罪と死を問わず、人間の死も草木が枯れるのと同じ現象として捉え、見えるものだけを追 い求め、「見えないもの」を説く宗教には関心がない。これに迎合して、 宗教も人々が関心を示す超能力や現世利益という「見えるもの」を訴える。ここに宗教の誘惑がある。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」 (Ⅱコリント4・18) 。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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