主の御名をあがめます。
今日もクリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
◆1405年10月18日 ピウス2世誕生日
◆1503年10月18日 ピウス3世召天日
ピウス2世の誕生日と、その甥のピウス3世の没日が重なるという、ちょっと
特別な日です。
ピウス2世は初めから聖職者だったわけではなく、詩人や歴史家として高名な人でしたが、だんだん偉くなって、最終的にローマ教皇となりました。当時は血縁主義もありましたから、その甥が枢機卿となりました。その後、パウルス2世、シクストゥス4世、インノケンティウス8世、アレクサンドル6世を経て、その甥がピウス8世として教皇になりました。
ピウス3世は先代のアレクサンドル6世のやりたい放題を正そうと頑張ろうとしましたが、在位わずか26日で亡くなってしまいました。一説では毒殺とも言われています。ちなみに、アレクサンドル6世の息子があの有名なチェーザレ・ボルジアです。
組織の腐敗を正すのはなかなかうまくいかない大変な事業なんですね。今も昔も。
それではまた明日。
主にありて。