NHK連続テレビ小説「エール」(総合、月~土曜午前8時ほか)は5日、すべての人が同じように戦争に立ち向かうことを強制される時代を描く第81回が放送された(第17週「歌の力」)。
1943年、裕一(窪田正孝)のもとにも召集令状が届く。その頃、妻の音(二階堂ふみ)の実家、愛知県豊橋にある関内家では、信徒仲間らしい婦人が窓から外の様子をうかがいながらカーテンを閉め、母親の光子(薬師丸ひろ子)に、「次の礼拝は、瓜田さんとこでやることになったで」に伝えるシーンがある。
光子が「大丈夫なの」と心配すると、「瓜田さんとこでやるのは初めてだで、まんだ大丈夫だわ。ほいでも、おたくは特高に目をつけられとるみたいで、たいへんでしょう」と婦人は気づかう。光子はうなずきつつ「さっきも表にいたでしょう」と言うと、「特高にバレんように、気つけておいでんね。司祭さんが大事な話があるちゅうて言うとったで」と声をひそめる。
「特高」とは特別高等警察の略で、国体護持のために共産主義者や国家の存在を否認する者、そしてクリスチャンなどを内偵し、取り締まる秘密警察のこと。このように日本では、戦国時代から江戸時代にかけて禁教令のもと300年近くキリスト教信仰が否定されてきたが、戦時中もまた厳しい弾圧を受けていたのだ。
信者は当然、唯一の神のみを礼拝するため、神ではない天皇を冒とくし、社会の秩序を乱すとされ、「非国民」扱いされていた。その対象はカトリック・プロテスタントの区別なく、特に外国人宣教師はスパイ容疑をかけられ、中には獄死する牧師もいた。特高警察はキリスト教信者を、「きわめて強烈な拝外思想の持ち主で、敵国である英米を崇拝する念は心中深く浸透しており、反戦的な言動をするため、厳重に監視と取り締まりを徹底すべき」と考えていた。
関内家のモデルである実際の内山家はクリスチャンホームではなく、これはあくまでもドラマの上での設定。子どもの頃、裕一が家の近くの教会で西洋音楽に触れたのではないかという文献の一節をもとにして、故郷・福島の教会で美しい歌声に誘われて会堂に入ってみたら、そこで音と運命的な出会いをするというストーリーが出来上がった。そして、「それなら音の家族はクリスチャンということにしよう」ということだろうか、関内家の場面では節々にキリスト教的なエピソードが描かれることになった。
そして、そのキリスト教考証を務めるのが西原廉太さん(立教大学文学部長、立教学院副院長)。西原さんはプロテスタントの「聖公会」の立場であり、裕一と音が出会う教会も、日本聖公会・福島聖ステパノ教会で撮影が行われたことなどから、関内家は聖公会の信徒という設定だ。
1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まると、翌年には大規模なキリスト教諸派への弾圧が始まる。そして6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96人が治安維持法違反で検挙された。
このとき、それに対してトカゲの尻尾切りのように振る舞った人がいたことも、わが身を省みるために忘れてはならない。
彼らの熱狂的信仰は我々教団のみでは手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸であった。(日本基督教団第4部主事、管谷仁)
大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日基教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している。(同山梨支教区長、小野善太郎)
(『ホーリネス・バンドの軌跡──リバイバルとキリスト教弾圧』新教出版社、662~663ページ)
残念なことに、立教学院も1942年、大学の学則第1条から「基督教主義」を削除。学校の目的も「基督教主義ニヨル教育」を削除して、「皇国ノ道ニヨル教育」に変更している。
私たちも、いつ自らの信仰を脅かされるかもしれない。そのとき、自己保身に走らず、後代の信仰者に対して恥ずかしくない行動をとれるだろうか。光子たちがこの時代にどんな姿勢を貫くのか注目したい。
NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(1)日本基督教団・福島教会と日本聖公会・福島聖ステパノ教会
NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(2)ヴォーリズとハモンド・オルガン
NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(3)「長崎の鐘」と永井隆