NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(4)古関裕而が聞いた教会の鐘の音

 

昨日紹介した代表曲「長崎の鐘」をはじめ、古関裕而(こせき・ゆうじ)といえば「鐘」と言えるほど、「鐘」のついた作品を数多く作曲している。その自伝『鐘よ鳴り響け』(日本図書センター)のタイトルもそこから来ている。

松竹映画「鐘の鳴る丘」のロケ地になった鐘の鳴る丘集会所(写真:edomuranotokuzo)

偶然、私の作曲のタイトルに鐘がつくものが多い。「鐘の鳴る丘」をはじめとして、「長崎の鐘」「フランチェスカの鐘」、大阪の非行少年防止のための「みおつくしの鐘」、それから遠く飛んで、イタリアのヴェネチアから取った「サン・マルコの鐘」。なぜ、こんなに鐘が多いのか、鐘に恨みは数々ござ……らぬが不思議で、調べてみたら、まだあった。

「時計台の鐘はなる」「スポーツの鐘が鳴る」「希望の鐘」「青春の鐘」など。

なお、鳴り響け! 鐘の音よ。
(同書、209~210頁)

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=zEc5ViEq8XQ]

実はまだある。ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」(47年)で「鐘が鳴りますキンコンカン」という歌詞があり、そのドラマの大ヒットにより、古関と言えば「鐘」というイメージが定着したと思われるが、その直前にも「鐘は鳴る」(47年)があり、「フランチェスカの鐘」(48年)、そして決定打となった「長崎の鐘」(49年)、「ニコライの鐘」(52年)、「みおつくしの鐘」(55年)、「スポーツの鐘が鳴る」(57年)、「希望の鐘」(59年)、「サン・マルコの鐘」(63年)、「ああ青春の鐘が鳴る」(65年)、「青春の鐘」(69年)。

古関の言った「時計台の鐘はなる」は「並木の街の時計台」(55年)のことか、古関のディスコグラフィーには見当たらなかった。

さて、NHK連続テレビ小説「エール」(月~土曜、午前8時)の風俗考証を担当している日本大学准教授の刑部芳則(おさかべ・よしのり)は著書『古関裕而──流行作曲家と激動の昭和』(中公新書)の中でこう述べている。

彼が生み出す「鐘」の名がつく楽曲は、この教会の鐘の音が原点なのかもしれない。

この教会とは日本基督教団・福島新町教会のことだ。これもまた、古関の家のすぐそばにあった。

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古関の母校である福島県立福島商業高校(当時は福島商業学校)の創立100周年記念誌『久遠(くおん)の希望(のぞみ)に』(福商創立百周年記念事業実行委員会)の中に、親友(羽田善一)のこんな証言が載っている(ちなみに、「久遠の希望に」は古関が1930年、母校の野球部応援歌として作曲したもの)。

彼の家の真向かいに新町の教会があって、彼は教会の鐘の音を毎日聞いていましたね。

福島新町教会は、生家跡から北東に600メートル弱、徒歩で7分くらいのところにあるが、実は1922年、古関が12歳のとき、福島市大町にあった呉服店「喜多三(きたさん)」は閉店を余儀なくされ、新町に引っ越して、京染めの仲次や質屋など、事業を縮小した喜多三商店を開いていたのだ。第一次世界大戦の影響で日本がたいへんなインフレになったことや、父の三郎次(さぶろうじ)が友人の借金の保証人となり、莫大な額を肩代わりする羽目になって破産寸前に追い込まれたことによる。その直前、古関は家業を継ぐため、福島商業学校に入学したばかりだったが、商売のことよりも古関は作曲にますます熱中するようになっていた。

その5年後の1927年、古関が19歳の時、この教会ができた。ただ翌年、古関は福島商業学校を卒業して、川俣銀行に就職し、家を離れることになる。だから1年の間だけではあるが、福島新町教会が鳴らす鐘の音を聞いて生活し、それが戦後の古関のヒット曲へとつながったのだ。

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これまで教会がいくつか出てきたので、もう一度、整理しておこう。

第4回に登場した教会のモデルが、古関の生家近くにあった日本基督教団・福島教会だ。そこから聞こえてくる賛美歌が古関の洋楽体験だったという。

それがドラマでは、母・まさ(菊池桃子)の故郷である福島・川俣町で、賛美歌に導かれて教会に入った少年時代の裕一(石田星空)が、後に妻となる音(清水香帆)と初めて出会うというシーンとして描かれた。確かに川俣町にも1917年に日本基督教団・川俣教会が創立されていたので、無理な設定ではない。

福島教会の会堂は1909年、古関が生まれた年に完成したが、2011年の東日本大震災で大きく損傷したため、現在では建て替えられている。そのため、ほぼ同じころ(1905年)に建てられた日本聖公会・福島聖ステパノ教会でドラマのロケは行われた。

古関の生家「喜多三」から福島教会(宮下町)までは、北に700メートル、徒歩で約10分の距離にあるが、実は福島聖ステパノ教会(置賜町)のほうがもっと近くて、北に300メートル足らず、徒歩で3分ぐらいのところにある。だとしたら、賛美歌が聞こえてきた教会が福島聖ステパノ教会でもおかしくないが、菊池清麿『評伝 古関裕而──国民音楽樹立への途』(彩流社、18~19頁)では、それがヴォーリズの設計で1909年に建てられた福島教会とされている。

ちなみに、古関が鐘の音を聞いていたという福島新町教会もヴォーリズの設計だ。木造平屋一部3階建てで鐘楼があり、スパニッシュ・スタイルの寄棟、瓦葺き、また礼拝堂には大きなアーチ窓がつき、エントランスもアーチ型で、至るところにヴォーリズらしい意匠が散りばめられている。2011年の東日本大震災では、屋根瓦が落ち、十字架や煙突が傾き、外壁や天井に亀裂が入るなど、大きな被害を受けたが、一粒社ヴォーリズ建築事務所などにより修復工事が行われ、今も古関が鐘の音を聞いていた頃のままの姿を見ることができる。

NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(1)日本基督教団・福島教会と日本聖公会・福島聖ステパノ教会

NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(2)ヴォーリズとハモンド・オルガン

NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(3)「長崎の鐘」と永井隆

NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(5)金須嘉之進と「シェヘラザード」

NHK連続テレビ小説「エール」とキリスト教(6)特高ににらまれていたクリスチャン

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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