1月10日「みだらな思いで、見る者は誰でも」

「みだらな思いで他人の妻を見る者は誰でも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイ5:28)

主イエスは「姦淫(かんいん)してはならない」という律法を取り上げて、今日の聖句を語った。「みだらな思いを抱く」とは、「欲しがる」「むさぼる」とも訳される言葉である。みだらな想像をするというより、他人の妻を自分のものにしようとすることである。たとえ実行しなくても、そのように意思する者は、「姦淫」という罪を犯している。主イエスの言葉が厳しいのは、姦淫が妻や夫に対する裏切りであると同時に、神の創造の秩序を破壊するからである。人間を人格として見るのではなく、自分の満足を充足させる対象物として見る性関係の結果は、人を傷つけ、自分も決して満たされることはない。今日(こんにち)の関係性の崩壊は、このことと決して無関係ではない。

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(19:6)と主イエスは言う。私たちは自己中心的な人間であり、相手に要求する者であり、夫婦の関係も危機に直面する。私たちが危機を乗り越えるのは、「神が結び合わせたもの」という神の秘義を信じ、「人は離してはならない」という主イエスの言葉を受け止める時である。

私たちは神の赦(ゆる)しを受けて、互いに赦し合う者でありたい。また、私たちの破れを繕(つくろ)われる神を共に仰ぐ者でありたい。このことは、結婚していても、結婚していなくても、私たちが人との出会いを喜び、共に生きるための基本である。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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