2011年の東日本大震災の津波で被災した宮城県石巻市指定文化財「旧石巻ハリストス正教会教会堂」が現地で復元され、2日から一般公開された。
旧教会堂は流失こそ免れたものの、津波は2階天井まで達し、建物は傾き、外壁や内装も崩落、支柱もゆがみ、庇(ひさし)も壊れた(2016年に石巻市から発行された「マンガで知ろう 石巻史」のデジタル版参照)。倒壊の恐れがあることから、同市は14年に建物をいったん解体し、土地を海抜2・2メートルまでかさ上げした上で、可能な限り保管していた震災前の部材を3分の2ほど使い、17年から1年かけて復元した。現在地への移設の際にモルタル塗りに変更された外壁も、創設当時の漆喰塗りに戻し、十字架も以前のものを取りつけた。総工費は約1億1000万円で、正教会や全国からの寄付金約4500万円、震災復興特別交付税や市の財源などでまかなった。
1880(明治13)年、同市千石町に建てられた和洋折衷の教会堂は、現存する日本最古の木造教会堂。東北巡回をしていたニコライが訪れた当時は、100人近い信徒がいたという。1917年のロシア革命以降、ロシア正教会からの資金援助が途絶えたこともあり、その後、教勢は低迷していった。
東日本大震災の33年前、1978年の宮城県沖地震でも大きな被害を受け、解体が検討されたが、貴重な文化財として保存を求める声が高まり、創建100年となる80年、同市中瀬(市街地に近い旧北上川の中州にある中瀬公園内。千石町から500メートルほど南に位置する)に移築、復元された。現在は市が管理しており、教会としては使用されていない。
現在の石巻ハリストス正教会は、宮城県沖地震のあと、最初に会堂が建てられた千石町の跡地に新築された。東日本大震災の時には約1メートルの浸水があったが、床を張り替えて復旧したという。正式名称は「聖使徒イオアン聖堂」(「イオアン」とはヨハネ、「ハリストス」とはキリストのこと)。
旧会堂の設計者は不明だが、正教会信者と考えられる。延べ床面積約166平方メートルで、十字架型の平面を持ち、屋根は瓦ぶきで、1階には畳の集会室があるなど、和洋折衷の擬洋風建築。急な傾斜の階段を上がった2階が絨毯敷きの聖所・至聖所で、そこで奉神礼が行われる。木目塗りが使用され、明治時代の洋風建築の意匠という面からも注目される。
2日から無料で公開し、開館は午前9時~午後5時(11~3月は午後4時まで。正午から1時間休み)。毎週火曜(火曜祝日の場合は翌日)と年末年始は休館。