Q.お祈りする時になぜ目をつぶるのですか?(10代・女性)
なぜでしょう。そのような「決まり」になっているからでしょうか。そうしなければならないからでしょうか。
別に目をつぶらなくても目をつぶっても、祈りができればそれでいいのです。目をつぶったほうが祈りができるのであれば、そうすればいいのです。目をつぶるかつぶらないかは大した問題ではありません。大切なことは、どのように、そして何を祈るかです。
イエスははっきりと教えています。祈り方まで。祈る時には……戸を閉めて奥まった所で、父である神に祈りなさいと。くどくどと言う必要はないと。言葉数が多ければ多いほど聞き入れられると思ってはいけないと。さらに、祈る内容まで教えてくださっています。「だから、こう祈りなさい」といって「主の祈り」を教えてくださったのです。
神に向かって「父よ」、「お父さん」と呼びかけていいと言ってくださいました。そして、まずそのお父さんが皆に知られるように、お父さんのもとに皆がいるように、お父さんの望みが実現するようにと。そのことをまず願いなさいと教えてくださったのです。そうすれば、他のすべてのことは与えられると。
そのようなことを想いながら祈ると、たぶん自然と目をつぶってしまうのではないでしょうか。他のことについても言えることですが……確かに型は大切なことです。型は助けになります。でも、それが本来の道から外れるようなことがあれば、かえって型にとらわれないほうがいいでしょう。
ずいぶん昔のことですが中学生のころ、友だちから聞かれたことがあります。「祈る時に、カトリックでは手の平を合わせるでしょう? プロテスタントでは手の平を組むでしょう?」 聞かれた時は、そうなのかなと思ったのですが、どちらでもいいのです。祈る時は「絶対に」手を合わせなければならない。手を合わせない人は信仰の薄い人だ! なんていうのは論外です。「絶対」というのは、そんなにあることではありません。「絶対」は神さまだけです。
やまもと・まこと 1953年福岡県生まれ。80年、カトリック司祭となる。81~85年、ローマ在住(教会法研究)。福岡教区事務局長、福岡カトリック神学院院長などを経て、カトリック西新教会主任司祭、